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2023.12.20 Wed UP

過渡特性を制御可能な物理リザバーデバイスを開発
~エッジ領域で使用可能なAIデバイスの実現へ~

研究の要旨とポイント

  • 計算コストと計算時間の大幅な削減を可能にする技術として物理リザバーコンピューティング(*1)が有望視されていますが、用いる物理系のダイナミクスに固有の緩和時間(*2)によって、リアルタイム処理できる信号の時間スケールが制限されるという課題があります。
  • 透明電極のSnドープIn2O3(ITO)薄膜と光刺激と電気刺激の両者に対して導電性の変化を示すNbドープSrTiO3(Nb:STO)基板からなる光メモリスタ(*3)デバイスを開発し、光誘起電流の緩和時間を電気的に制御できることを実証しました。この特性は物理リザバーコンピューティングに非常に適しており、広範な時間スケールの信号を単一デバイスでリアルタイム処理することを可能にします。
  • 本研究をさらに発展させることで、エッジコンピューティングに使用可能なAIデバイスの実現が期待されます。

研究の概要

東京理科大学 先進工学部物理工学科の木下健太郎教授、同大学大学院理学研究科応用物理学専攻の山﨑悠太郎氏(2023年度修士課程2年)の研究グループは、透明電極のSnドープIn2O3(ITO)、光刺激と電気刺激の両者に対して導電性が変化するNbドープSrTiO3(Nb:STO)から構成されるITO/Nb:STO接合の光メモリスタデバイスを作製し、光照射により誘起される電流の緩和時間を電気的に制御できることを実証しました(図1)。

過渡特性を制御可能な物理リザバーデバイスを開発~エッジ領域で使用可能なAIデバイスの実現へ~
図1. 本研究で開発した光メモリスタの模式図。光照射中に電気刺激を与えることで、光誘起電流の緩和時間を制御することに成功した。

近年、クラウド領域で処理するデータ量の増加やリアルタイム情報処理の需要により、ユーザーや端末に物理的に近い場所で行う「エッジコンピューティング」に注目が集まっています。エッジコンピューティングを実現するためには高い学習性能を維持しつつ、計算コストを抑制した演算処理技術が必要不可欠です。その有力な候補として近年注目を集めているのが、リザバーコンピューティング(*4)です。リザバーコンピューティングの中間層「リザバー」は、入力信号の非線形変換を担いますが、この働きをソフトウェアに代えて物理ダイナミクスの非線形応答性で置き換えることができます。物理実装したリザバーである「物理リザバー」(*5)はリザバーコンピューティングの更なる高効率化を実現しますが、精度の良い時系列学習を行うには、入力信号と物理リザバーの「忘却」の時間スケールが同程度である必要があります。そこで本研究では、緩和時間をコントロールできる物理リザバーの実現を目指して、新たにITO/Nb:STO接合を組み込んだデバイスを作製し、その特性評価を行いました。

ITO/Nb:STO接合では、光を入射した際、光照射の開始・停止に伴う電子-正孔対の生成・再結合に起因して、光誘起電流が増加・減衰することが知られています。この現象を利用することで視覚器で捉えた画像の記憶・学習といった、生体機能を模倣した応用が期待されています。光誘起電流が飽和値へと増加・減衰するのに要する時間、すなわち、緩和時間はITO及びNb:STOの組成によりある程度の調整が可能ですが、接合作製後は接合に固有の値に制限されてしまいます。本研究の結果、ITO/Nb:STO接合への光照射中に電気刺激を与えることで、緩和時間を制御できることが明らかになりました。この特性は物理リザバーコンピュティングへの応用に非常に適しています。

物理リザバーとしてのデバイスの性能を手書き数字の画像分類タスクで評価した結果、デバイスに入力する光信号の時間スケールに合わせて、適切な緩和時間を示すように印加電圧を調整することで、学習精度を最適化できることを実証しました。本研究をさらに発展させることで、ITO/Nb:STO接合の光伝導性に関する深い知見を提供すると同時に、低計算コストかつ高性能なエッジAIデバイスの実現につながると期待されます。

本研究成果は、2023年11月20日に国際学術誌「Advanced Science」にオンライン掲載されました。

研究の背景

気象情報や交通情報、SNS広告をはじめとしたさまざまなビッグデータがリアルタイムで処理されており、その基盤となるAI技術の重要性がますます高まっています。従来のクラウドコンピューティングではクラウド側で情報処理を行うため、膨大なデータをクラウドに送る必要があります。そのため、情報漏えい、アクセスの集中や処理速度の遅さによる通信遅延、消費電力の増加など、解決すべき課題が数多く残されていました。

近年、これらを解決する新たな方法として、エッジコンピューティングに注目が集まっています。エッジコンピューティングとは、ネットワークの端末側で情報処理を行う手法で、データ処理を分散させることで負荷の低減や情報処理の高速化が期待できます。特に、エッジ領域でのAI処理はエッジAIと呼ばれ、自動運転システム、工場での機械異常予測など、データ通信遅延が許容できない分野への応用が期待されています。

エッジコンピューティングを実現するためには高い学習性能を維持しつつ、計算コストを抑制した演算処理技術が必要不可欠です。その有力な候補として近年注目を集めているのが、リザバーコンピューティングです。リザバーコンピューティングとは時系列信号の処理に適した計算フレームワークで、入力信号に対して非線形に応答するリザバー(貯水池の意)によって、時系列信号を高次元の時空間パターンに変換することができます。特に物理系のダイナミクスを利用する物理リザバーは、低計算コスト化・高効率化が期待されています。しかし、物理リザバーがリアルタイムで処理できる信号の時間スケールは、使用する物理系のダイナミクスに固有の緩和時間によって制限される(*6)ことが課題の1つでした。そのため、物理リザバーの学習性能を最適化する上では、緩和時間を入力信号の時間スケールに適合させる必要があります。

本研究グループは、過去に物理リザバーコンピューティングに応用可能な物質の研究開発に注力してきました(*7)。今回、電圧により光誘起電流の緩和時間を任意に制御可能な物理リザバーを実現するため、電気刺激と光刺激の両者に対して導電性の変化を示すITO/Nb:STOを作製し、その性能を評価しました。

研究結果の詳細

  1. ITO/Nb:STO接合デバイスの電気特性
    ITO/Nb:STO接合デバイスに電圧を印加したときの電流値を測定し、電流–電圧(I–V)特性の評価を行いました。0V → +3V → 0V → –3V → 0Vの電圧印加を1サイクルとし、100サイクルにわたって繰り返し測定を行いました。その結果、サイクル再現性が良好なI–Vヒステリシスが観測され、ITO/Nb:STO接合がメモリスタとして動作していることを確認しました。
  2. ITO/Nb:STO接合デバイスへの紫外線(UV)照射の影響

    読み出し電圧Vreadを系統的に変化させ、ITO/Nb:STO接合デバイスにUVを照射したときの光誘起電流の変化を観察しました。Vread = 0Vの場合、UVを照射すると瞬時に光誘起電流が観測されました。また、UV照射を停止すると瞬時にUV照射前の電流レベルに戻りました。これは半導体の光起電力効果によるものです。ここで、デバイスに負電圧、正電圧を印加するとUV照射停止後の光誘起電流の過渡特性が劇的に変化することがわかりました(図2)。負電圧印加時の光誘起電流の緩和時間はVread = –0.3V, –0.5Vでそれぞれ140秒、42秒と算出され(図2a)、正電圧印加時は負電圧印加時に比べて緩和時間は長くなり、Vread = +0.3V, +0.5Vでそれぞれ790秒、1100秒と算出されました(図2b)。この緩和時間の変化は、Nb:STO中に存在する酸素空孔が電圧印加によってITO/Nb:STO界面とNb:STOバルクの間を移動することで界面近傍の酸素空孔濃度が変化し、UV照射・停止に伴う電子-正孔対の生成・再結合レートに影響を及ぼすというモデルで説明できます。

    以上の結果より、ITO/Nb:STO接合デバイスでは印加するVreadによって光誘起電流の緩和時間を制御できることから、広範な時間スケールの信号を単一デバイスでリアルタイム処理できる物理リザバーとしての応用が期待できます。

    過渡特性を制御可能な物理リザバーデバイスを開発~エッジ領域で使用可能なAIデバイスの実現へ~
    図2. 光照射停止後の光誘起電流の過渡特性。(a) 負電圧印加時の光誘起電流緩和。(b) 正電圧印加時の光誘起電流緩和。(c) 光誘起電流の緩和時間を算出した結果。
  3. ITO/Nb:STO接合デバイスの物理リザバー性能の評価

    ITO/Nb:STO接合デバイスの物理リザバー性能を評価するため、MNIST(Modified National Institute of Standards and Technology)データセットを用いて、手書き数字画像の分類タスクを実施しました。その結果、Vread = –0.3Vで90.2%という最も高い精度が得られることがわかりました。これは、時系列信号の時間スケールとデバイスの緩和時定数が適切にマッチしたためと考えられます。物理リザバー自体の計算能力への寄与を明らかにするため、前処理されたデータを直接読み出し層(物理リザバーなし)に与えた場合のシステムの精度を評価したところ、85.1%という値が得られました。これらの結果から、ITO/Nb:STO接合デバイスは計算コストを削減しつつ、分類精度を向上させることが確認され、物理リザバーとして有用であることが実証されました。

本研究を主導した木下教授は「本研究で開発したデバイスを使用すると、生活環境で生成されるさまざまな時間スケールを持つ時系列信号を単一のデバイスでリアルタイム処理できるようになります。特に、エッジ領域でAIを活用するためのAIデバイスを実現したいと考えています」と、研究の意義についてコメントしています。

※本研究は、日本学術振興会(JSPS)の科研費(19K04476)の助成を受けて実施されました。

用語

*1 物理リザバーコンピュティング
時系列データを低消費電力かつ高速リアルタイムで処理可能な機械学習のフレームワークである「リザバーコンピュティング」において、「リザバー」は入力信号の非線形変換を担う。この働きをソフトウェアに代えて物理ダイナミクスの非線形応答性で置き換えたのが物理リザバーコンピュティングである。ソフトウェア実装に比べ、さらなる低消費電力化、高効率化が期待される。

*2 緩和時間
系が定常状態から乱された際、定常状態に復帰するまでに要する時間の目安。ここでは、時定数をUV照射停止直後の電流値から自然対数の底の逆数1/eの値になるまでに要する時間と定義した。

*3 光メモリスタ
電圧印加によって抵抗値が変化するメモリ素子をメモリスタと呼ぶ。同様に、光照射によって抵抗値が変化するメモリ素子を光メモリスタと呼ぶ。

*4 リザバーコンピュティング
リザバー(reservoir)は英語で「貯水池」という意味で、貯水池の水面に石を投げ込んで生じた波紋のパターンは、投げ込んだ石のサイズや投げ込む順序を反映することから、石の時系列情報を推測することができる。このように、知りたい情報(投げ込んだ石)を全く別の情報(水面の波紋パターン)に変換して情報処理を行うのが、リザバーコンピューティングである。

*5 物理リザバー
物理実装を施したリザバー。リザバーコンピュティング手法における中間層「リザバー」の役割は、入力信号を高次元の信号に変換することであるため、入力に対して非線形に応答する実際の物理系を用いることができる。

*6
例えば、スピン波ではナノ(10–9)秒オーダーの物理ダイナミクス、電気化学反応ではミリ(10–3)秒オーダーの物理ダイナミクスなど、物理現象によってダイナミクスの時間スケールは大きく異なる。処理対象の信号の時間スケールに対して物理ダイナミクスの時間スケールが大幅に異なると、入力の特徴をすぐに忘れてしまう、もしくは過去の入力の記憶に大きく依存して現在の入力の影響が薄れてしまうなど、適切にデータを処理することができない。

*7 東京理科大学プレスリリース
『入力信号の時間スケールに応じて学習を最適化できる物理リザバーコンピューティングの新技術を開発 ~イオン液体のデザイン性を活かしたチューナブルなAI学習~』

論文情報

雑誌名

Advanced Science

論文タイトル

Photonic Physical Reservoir Computing with Tunable Relaxation Time Constant

著者

Yutaro Yamazaki and Kentaro Kinoshita

DOI

10.1002/advs.202304804

木下研究室

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