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2023.07.03 Mon UP

Liイオンの酸化還元反応を利用した高性能トランジスタの開発に成功
~ニューロモルフィックコンピューティング技術の実現に貢献~

研究の要旨とポイント

  • 人工知能(AI)技術をはじめとしたコンピューティング技術の多くは、莫大なエネルギーを消費するため、より環境負荷を低減した高性能なハードウェアの開発が急務となっています。
  • タングステン酸リチウム(LixWO3)薄膜とリチウムイオン伝導性ガラスセラミック(LICGC)基板からなる全固体酸化還元型トランジスタを開発し、物理リザバー(※1)として優れた性能を示すことを実証しました。
  • 本研究成果を応用したニューロモルフィックコンピューティング(※2)が実現すれば、コンピュータやスマートフォンといった電子機器の情報処理性能の向上や使用するエネルギー消費量の低減が期待されます。

東京理科大学先進工学部物理工学科の樋口透准教授、同大学大学院理学研究科応用物理学専攻の和田友紀氏(2022年度修士課程修了)、西岡大貴氏(2023年度博士課程3年)、物質・材料研究機構ナノアーキテクトニクス材料研究センターの土屋敬志主幹研究員(兼 東京理科大学連携大学院客員准教授)、並木航ポスドク研究員、寺部一弥MANA主任研究者の研究グループは、タングステン酸リチウム(LixWO3)薄膜とリチウムイオン伝導性ガラスセラミック(LICGC)基板の酸化還元反応を利用し、神経回路に類似した電気特性を再現できる新たなトランジスタの開発に成功しました。この素子を物理リザバーに用いることで、ニューロモルフィックコンピューティングを実行できます。

計算資源や消費電力を大幅に削減できる可能性がある技術として、物理リザバーコンピューティングに注目が集まっています。現在までに、光学デバイス、スピントルク発振素子、メモリスタなどさまざま材料やデバイスの開発が報告されていますが、その性能については改善の余地があります。そこで本研究グループは、物理リザバーとして利用可能で、より高性能なトランジスタの開発を目的として研究を進めてきました。

本研究では、リチウムイオン伝導性ガラスセラミック(LICGC)基板上にLixWO3薄膜を積層した全固体酸化還元型トランジスタの開発に成功しました。この素子はゲート電圧を印加することで、ドレイン電流(電子電流)とゲート電流(Liイオン電流)の非線形応答が得られ、二重リザバー状態を実現することができます。これにより、単一リザバーよりも高次元性が付与されるので、計算処理などの性能向上が期待されます。

今回、実際に、二次非線形動力学方程式や非線形自己回帰移動平均(NARMA2,※3)タスクにおいて、従来報告されているデバイスよりも優れた性能を示すことを実証しました。また、ドレイン電流とゲート電流を組み合わせること(二重リザバー)で、高次元性と記憶容量の両方が向上することを明らかにしました。

本研究の成果は、2023年6月29日に国際学術誌「Advanced Intelligent Systems」にオンライン掲載されました。

Liイオンの酸化還元反応を利用した高性能トランジスタの開発に成功~ニューロモルフィックコンピューティング技術の実現に貢献~
図:本研究で開発した酸化還元トランジスタの模式図。ドレイン電流とゲート電流の非線形応答を組み合わせることで、情報処理の性能向上に成功した。

研究の背景

近年、機械学習などの人工知能(AI)技術は著しい発展を遂げており、日々高性能化が進んでいます。しかしながら、高度なAIには膨大なエネルギー消費が必要となり、深刻な社会問題となっています。これを解決するためには、消費するエネルギーが少なく、かつ高精度で演算可能なハードウェアの開発が急務となっています。

本研究グループは、過去に電気二重層トランジスタを物理リザバーに用いることで、脳の特徴を模倣した脳型情報処理を行う新技術を開発し、優れた性能を実現したことを報告しています(*1)。この研究成果を基に、今回Liイオンの酸化還元反応による電流応答が可能な酸化還元トランジスタの開発に焦点を当てました。電気二重層トランジスタでは、電気二重層の充放電に基づく電気応答を利用するのに対し、酸化還元トランジスタではチャネルへのイオン挿入・脱離に基づく電気応答を利用します。そのため、酸化還元トランジスタを物理リザバーに利用すると、ドレイン電流とゲート電流の非線形応答による二重リザバー状態となり、これが情報処理性能の向上につながると考えられます。

以上の背景を踏まえて、本研究グループはLixWO3薄膜とLICGC基板間の酸化還元反応を用いて、従来よりも高性能なニューロモルフィックコンピューティング技術を実現できないかという構想の下、酸化還元トランジスタの開発に着手しました。そして、作製した素子を物理リザバーとして使用して性能の評価を行いました。

(*1):東京理科大学プレスリリース
『脳の働きを模したイオニクス情報処理素子を開発 ~「カオスの縁」の再現でAI端末機器の高性能化に期待~』

研究結果の詳細

まず、対象となるLixWO3ベースの酸化還元トランジスタを作製しました。0.15mmの厚みを有するLIGCG基板上に、ドレイン電極とソース電極として50nmの白金薄膜を、その上に100nmのWO3薄膜を製膜しました。ゲート電極として200nmのLiCoO2をWO3層とは異なる側に製膜し、その上に集電体として50nmの白金薄膜を作製しました。リザバー演算を開始する前に、ゲート電極とソース電極間に2.5Vの定電圧を1時間印加することにより、LiイオンがWO3チャネルに挿入されたLixWO3相を形成しました。

次に、作製した酸化還元トランジスタを物理リザバーとして使用し、時系列入力に対する二次非線形動力学方程式を解くことで演算処理の性能評価を行いました。その結果、ドレイン電流のみを使用する条件(単一リザバー)では予測誤差8.15×10-4、ドレイン電流とゲート電流を組み合わせた条件(二重リザバー)では予測誤差5.39×10-4という極めて小さな値が得られることがわかりました。これらの値は、これまでに報告された異なる種類の物理リザバー(スピントルク発振素子やメモリスタ)よりも高い精度で演算処理できることを示しています。

次に、時系列予測の性能を詳しく評価するために、物理リザバーコンピューティングの代表的なベンチマークである非線形自己回帰移動平均(NARMA2)タスクを実行しました。二次非線形動力学方程式と同様に、ドレイン電流とゲート電流を組み合わせた条件(二重リザバー)では、規格化平均二乗誤差(NMSE,※4)が0.163となり、より優れた性能を示すことが明らかになりました。

さらに、ゲート電流の利用による性能向上のメカニズムを調べるために、短期記憶タスクを実行しました。その結果、ドレイン電流のみの条件(単一リザバー)では、記憶容量は2.35であったのに対し、ドレイン電流とゲート電流を組み合わせた条件(二重リザバー)では、記憶容量が3.57に増加することがわかりました。以上の結果より、ドレイン電流とゲート電流の非線形応答により二重リザバー状態が実現し、高次元化と記憶容量が向上したことが示唆されました。

本研究を主導した樋口准教授は「本研究で開発した電子素子は、電子機器の情報処理精度の向上、消費エネルギーの低減を実現する上で重要となると期待されます。将来的には、コンピュータや携帯電話を含む幅広い電子機器に実装される汎用技術となる可能性があります」とコメントしています。

※本研究は、日本学術振興会 科研費新学術領域研究「蓄電固体界面科学」公募研究A04(JP22H04625)、科学研究費補助金(JP21J21982)、矢崎科学技術振興記念財団の助成を受けて実施したものです。

用語

※1 物理リザバー: 時系列入力を時空間パターンに変換できる装置。時系列入力の過去の情報を記憶していることが特徴。非線形性、高次元性、短期記憶といった性質が求められる。

※2 ニューロモルフィックコンピューティング: 脳の神経回路の非線形な電気的振る舞いをモデルとしたコンピューティング技術。機械学習を高速かつ低消費電力で実行できる。

※3 非線形自己回帰移動平均(NARMA2): リザバーコンピューティングの代表的なベンチマークタスクの1つ。

※4 規格化平均二乗誤差(NMSE): 各データに対して予測値と正解値の差である誤差の二乗を計算した後、その総和をデータ数で割り、規格化した値。

論文情報

雑誌名

Advanced Intelligent Systems

論文タイトル

A Redox-based Ion-Gating Reservoir, Utilizing Double Reservoir States in Drain and Gate Nonlinear Responses

著者

Tomoki Wada, Daiki Nishioka, Wataru Namiki, Takashi Tsuchiya, Tohru Higuchi, and Kazuya Terabe

DOI

10.1002/aisy.202300123

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