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2022.12.22 Thu UP

脳の働きを模したイオニクス情報処理素子を開発
~「カオスの縁」の再現でAI端末機器の高性能化に期待~

国立研究開発法人物質・材料研究機構
東京理科大学

概要

  1. 国立研究開発法人物質・材料研究機構と東京理科大学の研究チームは、「カオスの縁」と呼ばれる脳の特徴を、固体電解質薄膜とダイヤモンドの界面近傍で起こるイオニクス現象(イオンと電子の振舞い)で再現することで情報処理を行う高性能AI素子の開発に成功しました。画像・人物・音声・匂いなどの分類や将来予測を含むあらゆるパターン認識・判断に利用できるため、幅広い分野で活用可能な低消費電力エッジAI端末機器への応用が期待できます。
  2. AI技術を支えるコンピュータそのものを脳に近づけるべく、コンピュータを構成する素子の改良が進められていますが、エネルギー効率や情報処理性能は、脳のそれに遠く及んでいないのが現状です。これまでの素子を用いたコンピュータが「カオスの縁」と呼ばれる脳特有の状態を再現していなかったためと考えられています。こうした見地から、「カオスの縁」を再現するハードウェアが検討されていますが、従来は多数の素子からなる大規模な電気回路が必要でした。高集積実装に適した小型素子も検討されていますが、シミュレーションによる性能予測に留まっていました。
  3. 今回、研究チームはリチウム固体電解質薄膜とダイヤモンドを積層した界面のイオニクス現象を利用して「カオスの縁」状態を発現させ、高い情報処理性能を示すAI素子を開発しました。この素子は固体電解質/ダイヤモンド界面の電気二重層の充放電で電気抵抗が変化する電気二重層トランジスタの原理で動作しますが、「カオスの縁」によって脳神経に似たスパイクや緩和を伴う電気応答が得られる(図)ことで、高効率の情報処理に適した状況が生まれます。AI素子に期待される作業(ある波形の入力信号から任意の波形への変換)を実施したところ、類似の小型素子のチャンピオンデータの6分の1まで誤差を低減し世界最高性能を達成しました。
  4. 本研究によって、固体電解質薄膜とダイヤモンド薄膜の界面に脳の特徴を模倣させることで脳型情報処理を行う新技術が得られました。電気二重層という厚さ数ナノメートル程の微小空間を利用して高性能を実現できることは実用上の大きなメリットです。スマートウォッチや監視カメラ、音声センサーなどの各種センサーとの組合せにより医療、防災、製造、警備などの幅広い産業で利用できる低消費電力エッジAI端末機器への応用が期待されます。
  5. 本研究成果は、Science Advances誌の2022年12月14日号に掲載されました(doi: 10.1126/sciadv.ade1156)。
脳の働きを模したイオニクス情報処理素子を開発
~「カオスの縁」の再現でAI端末機器の高性能化に期待~
図 本研究で開発した脳型情報処理素子の模式図。

研究の背景

脳の働きを模
        したイオニクス情報処理素子を開発
~「カオスの縁」の再現でAI端末機器の高性能化に期待~

近年、ソフトウェアの進歩による機械学習の活用が拡がりあらゆる社会活動の様式が変化しつある一方、学習時の膨大な電力消費が深刻な社会問題となっています。ソフトウェア改良だけで改善するには限界があるため、脳神経の働きをハードウェアで模擬して消費電力(計算量)を低減する「ニューロモルフィック(神経模擬)コンピュータ」の研究開発が精力的に行われています。しかし、エネルギー効率が低く計算性能も十分でないことが課題となっています。どうすれば、高効率で高性能な人間の脳に近づけることができるのでしょうか。最近の神経科学によると、その鍵は脳の「カオスの縁」と呼ばれる特殊な状態にあることがわかっています。

「カオスの縁」(1)とは、比例関係にない(非線形な)法則で記述される非線形力学系(脳を含む)(2)における秩序とカオス(混沌、無秩序)の境界付近の状態です。秩序状態では運動にわずかな乱れが加わってもやがて収束していきますが、カオス状態ではわずかな乱れの影響が増幅され大きな違いを生み出します(図1)。非線形力学系を用いる情報処理では、「カオスの縁」において性能が最も高まることが経験的に知られています。こうした見地から、小型機器に実装する小型素子に高い脳型情報処理性能を与える目的で、「カオスの縁」を発現させる新技術が求められていました。

研究内容と成果

研究チームは、固体でありながらリチウムイオンを伝導するリチウム固体電解質(ジルコニウムをドープしたケイ酸リチウム)薄膜とダイヤモンド単結晶を積層した界面近傍のイオンと電子の振舞いを利用して「カオスの縁」状態を発現させ、高い情報処理機能を示す小型素子を開発しました(図2)。この素子は固体電解質/ダイヤモンド界面に形成される電気二重層(3)の充放電によってダイヤモンド表面の電子キャリア密度が変化することで電気抵抗が変化する電気二重層トランジスタ(4)の原理で動作します。この素子に、情報処理が必要な時系列データを電圧パルス列として入力すると、先述の電気二重層の充放電によってダイヤモンド表面を流れる電流(ドレイン電流(5))が刻一刻と変化します。この際、リチウムイオンと電子の輸送がお互いに影響を及ぼし合って複雑に振舞い(6)、無数のニューロンが互いにフィードバックしあう脳神経に近い状況が生まれます。実際に、脳神経の電気応答に見られる様なスパイクや緩和を伴う、複雑・多様な電気応答を出力することがわかりました(図2)。そこで、研究チームはこの素子を「物理リザバー(7)」に用い、情報処理に応用しました(物理リザバーコンピューティング(8))。物理リザバーコンピューティングとはニューロモルフィックコンピューティングの一種であり、「物理リザバー」に信号を入力し、「物理リザバー」内部での信号変化を利用して情報処理を行う手法です。深層学習を含む一般的な階層型ニューラルネットワークよりも低い計算コスト(消費電力)で情報処理することが原理的に可能ですが、高性能を得るためには優れた性能を持つ物理リザバーが要求されます。本研究で開発した素子は、イオンゲーティング(イオンを用いてトランジスタを動作させること)によって物理リザバーの機能を果たすことから、イオンゲーティングリザバーと名付けました。

脳の働きを模したイオニクス情報処理素子を開発
~「カオスの縁」の再現でAI端末機器の高性能化に期待~

この素子の情報処理性能を、物理リザバーコンピューティングの性能試験に用いられる二次非線形変換タスク(9)で評価しました(図3)。予測誤差を評価したところ、2.08×10-4という非常に小さな値(高い予測精度)が得られました。これは、スピントルク振動子やメモリスタを用いた報告よりも数倍から1桁程度高い精度であり、小型素子の中で世界最高性能でした。こうした高性能の起源を探るべく電気応答を詳しく調べたところ、「カオスの縁」状態にあることが示唆されました。

脳の働きを模したイオニクス情報処理素子を開発~「カオスの縁」の再現でAI端末機器の高性能化に期待~
図3. (a)二次非線形変換タスクの正解波形と予測波形の比較。(b)他の素子との予測誤差の比較。

今後の展開

本研究によって電気二重層という厚さ数ナノメートル程の微小空間を利用して高い脳型情報処理機能を実現できることがわかりました。このメリットを活かして高集積実装することで、スマートウォッチや監視カメラ、音声センサーなどの各種センサーと組合せて医療、防災、製造、警備などの幅広い産業で利用できる高性能・低消費電力エッジAI端末機器の実現が期待されます。さらには、これらの技術を応用して、創造する・意識を持つ・自律的に学習して意思決定するなど、人間らしさを備える人工脳へと発展させたいと考えています。

研究チーム

本研究はNIMS国際ナノアーキテクトニクス研究拠点(WPI-MANA)の土屋敬志主幹研究員、西岡大貴研修生(東京理科大学大学院博士後期課程2年/JSPS特別研究員)、並木航NIMSポスドク研究員、寺部一弥MANA主任研究者、機能性材料研究拠点の井村将隆主幹研究員、技術開発・共用部門の小出康夫特命研究員、東京理科大学の樋口透准教授、高栁真博士(NIMS在籍時は研修生/東京理科大学大学院博士後期課程3年/JSPS特別研究員)によって行われました。また本研究の一部は、新学術領域「蓄電固体界面科学」(22H04625)、JSPS特別研究員(21J21982)、(公財)矢崎科学技術振興記念財団研究助成の支援を受けて行われました。

掲載論文

題目

Edge-of-chaos learning achieved by ion-electron-coupled dynamics in an ion-gating reservoir

著者

Daiki Nishioka, Takashi Tsuchiya, Wataru Namiki, Makoto Takayanagi, Masataka Imura, Yasuo Koide, Tohru Higuchi, and Kazuya Terabe

雑誌

Science Advances(doi: 10.1126/sciadv.ade1156)

掲載日時

2022年12月14日

用語解説

(1)カオスの縁:クリストファー・ラングトンによって、セルオートマトンの中で秩序とカオスの境界付近で見出された状態。カオスとは、規則に従って発生するにもかかわらず(決定論的)、不規則に見える振舞い(確率論的)を示す現象のことで、天体や気象、生態系など自然界において様々な形で観察されます。わずかな初期状態(初期値)の違いが大きな差に増幅される「初期値の鋭敏性」を持っており、「バタフライ効果」などと呼ばれます。カオスの縁は情報処理性能のみならず、生命の進化において環境適応に必要な多様性が生まれるメカニズムにも深く関与すると考えられています。

(2)非線形力学系: 時間発展する振舞いが非線形な特性を持つ法則で記述される系。

(3)電気二重層:電解質中の電荷をもったイオンが電極の界面に集まって正または負の電荷を帯びた層を生じ、逆符号の電荷が等密度で電極に分布して、全体として正負の電荷が界面付近に分布する状態。

(4)電気二重層トランジスタ:半導体と電解質との界面に存在する電気二重層を利用して半導体中の電子キャリア密度を変調するトランジスタ。通常、半導体中に流れる電流を測定するためのソース、ドレイン電極に加えて、電圧を印加してイオンを移動させ電気二重層を変調するためのゲート電極を備えています。

(5)ドレイン電流:トランジスタのドレイン電極を流れる電流。電気二重層トランジスタの場合、主に半導体中の電子キャリア濃度の変調によってドレイン電流の大きさが変化します。

(6)イオンと電子の複雑な振舞い:電気二重層の充放電によって半導体中の電子キャリア密度が変化する際に、充放電速度が固体電解質中のイオン伝導抵抗や充電量に加えて、半導体の局所的な電気抵抗(可変)に強く影響されます。さらに、ドレイン電流には電子キャリア密度変化のみならず、電気二重層の充放電電流による寄与も含まれます。これらによって、ドレイン電流には、過去に与えられた入力履歴に強く依存する複雑かつ多様な電気応答が観察されます。

(7)物理リザバー:入力される時系列信号を、内部で起こる物理現象を利用して非線形変換し出力する働きを持つ物体。非線形性、多様性(高次元性)、短期記憶といった性質が要請されるため、それらの優劣によって計算性能が大きく左右されます。

(8)物理リザバーコンピューティング:「物理リザバー」に信号を入力し、内部で起こる物理現象を利用して信号の様々な特徴で分類することで情報処理を行う手法

(9)二次非線形変換タスク:二次の非線形性と記憶の項を含む二次非線形方程式を学習する情報処理。まず、学習用のデータセットで入力に対してこの方程式が行う非線形変換を物理リザバーに学習させます。次に、試験用のデータセット(学習用とは異なるデータ)で物理リザバーが出力する予測波形と二次非線形方程式が出力する正解波形を比較して正しく学習が行われたかを予測誤差で評価します。物理リザバーに非線形性と記憶を表現する能力がなければ正しく学習ができないため、物理リザバーコンピューティングの性能評価に用いられます。

本件に関するお問い合わせ先

(研究内容に関すること)
国立研究開発法人物質・材料研究機構 国際ナノアーキテクトニクス研究拠点 ナノイオニクスデバイスグループ
主幹研究員 土屋 敬志(つちや たかし)
Email: TSUCHIYA.Takashi [@] nims.go.jp
TEL: 029-860-4563
URL: https://samurai.nims.go.jp/profiles/tsuchiya_takashi

(報道・広報に関すること)
国立研究開発法人物質・材料研究機構 経営企画部門 広報室
〒305-0047 茨城県つくば市千現1-2-1
TEL: 029-859-2026, FAX: 029-859-2017
E-mail: pressrelease [@] ml.nims.go.jp

東京理科大学 経営企画部 広報課
〒162-8601 東京都新宿区神楽坂1-3
TEL: 03-5228-8107, FAX: 03-3260-5823
E-mail: koho [@] admin.tus.ac.jp

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