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高温で多重プロトン輸送を可能にするスターバースト型分子プロトン伝導体
~高温領域で働く、高効率な燃料電池の開発へ向けたプロトン伝導体の分子設計~
研究の要旨とポイント
- 燃料電池は環境にやさしい次世代のエネルギー源として期待されています。しかし、プロトン伝導の媒体として水を使うため、100℃以上の高温下での使用が困難です。高温領域で効率よくプロトンを受け渡す新しいプロトン伝導体の開発が求められています。
- 本研究では、高温で多重にプロトンを伝達する新しい分子プロトン伝導体を開発し、その分子結晶のプロトン伝達メカニズムや伝導経路について明らかにしました。
- これは、高温で働く素早いプロトン伝導性をもつ燃料電池の新しい駆動原理になると期待されます。
東京理科大学理学部第一部化学科の 田所 誠 教授は、高温で多重にプロトンを伝達する新しいタイプの分子プロトン伝導体を開発し、その分子結晶のプロトン伝達メカニズムや伝導経路について明らかにしました。研究成果は2022年6月20日に国際学術誌「Chemistry—A European Journal」にAccepted、そしてFront Coverに採用され、6月27日にFirst Publishedとして掲載されました。
電気自動車や携帯電話に使われるリチウムイオン電池は現在隆盛を極めていますが、この電池に代わる次世代の電力源として燃料電池(*1)が注目されています。燃料電池は、充電により電気を溜めておくリチウムイオン電池とは異なり、水素などの燃料を投入することで、その場で繰り返し発電できる電池です。燃料電池はCO2を排出せず、水素と酸素から水をつくる過程で電力を取り出すことができるクリーンで環境にやさしいエネルギー源です。そのため、水素供給のインフラさえ整えば、重要なエネルギー源として活用されることが期待されています。
しかし、これまでの燃料電池では、プロトンの伝導媒体に水を使うため、100℃以上の高温下での使用が難しく、実用化を妨げる要因の1つになっていました。燃料電池にはNafion膜(*2)といわれる水を使った高プロトン伝導膜を用いることから、100℃以上の高温では水が蒸発してプロトンの伝導性が下がってしまうことが原因です。そのため、Nafion膜に代わる高温で効率よくプロトンを受け渡す新しいプロトン伝導体の開発が求められています。
今回、我々の研究グループでは、高温で多重にいくつものプロトンを伝達する新しいタイプの分子プロトン伝導体を開発し、その結晶でのプロトン伝導経路を特定しました。この研究成果は、今後、高温領域で働く燃料電池の固体電解質の1つとして、分子で作られたプロトン伝導体の新しい駆動原理になると期待されます。
研究の背景
高温のプロトン伝導体を構築する上で、有力な候補の一つとしてイミダゾール(imidazole)(*3)分子が注目を集めています。しかし、イミダゾールの分子結晶は120℃で融解してしまうほか、1つの分子で⼀度のプロトン移動に対して1つしかプロトンを輸送できないため、プロトン伝導度が σ= ~10‒8 S/cm と低いことが課題となっています。現在、この課題を克服する手法として最も期待されているのが、イミダゾールの分子自身をナノチャネルの金属有機骨格(MOF) (*4)の中に導⼊する方法です。この手法により、プロトン伝導度は ~10‒5 S/cm と、イミダゾールの結晶よりも3桁以上もプロトン伝導度が増加することが分かりました (Nat Mater., 2009, 8, 831-6) 。本研究では、この方法とは異なるアプローチで、3桁以上もプロトン伝導度を向上させることに成功しています。
研究結果の詳細
研究グループでは、1つのRu3+ (ルテニウムイオン) に図1のような6つのイミダゾール (HIm) 基を配位した "スターバースト型"(*5)金属錯体 [RuIII(HIm)3(Im)3] (1) の合成に成功しました。この分子1の単結晶はHIm間の分子間水素結合のみで連結しています。そのため、1分子で6つのプロトンを⼀度に輸送でき、HIm基よりも6倍以上もプロトンを輸送できる能力があると考えられます。この1の分⼦結晶はおよそ‒160℃からプロトンが動き始め、低温領域の約‒70℃から、6つのHIm基がそれぞれ個別な回転運動によってプロトンを伝えることができます(図2a)。しかし、130℃ からの高温領域では分子1の全体的な回転運動が活性化され、 図2bのように6つのプロトンキャリアが1度に伝わるというプロトン伝導のメカニズムに変化することを、重水素核を用いた固体2H-NMRを用いた解析から明らかにしました。
この結果から、合成された分子1は、高温領域ではHIm基の個々の回転運動に加えて、全体の分子回転に伴う等方的な分子運動を引き起こしてプロトン伝導し、177℃で3.08×10-5 S/cmという早いプロトン伝導度をもつことが、明らかになりました。この分⼦1の単結晶は最も対称性の高い立方晶であり、Icy-c* トポロジー(*6)をもつ構造に組み上がり、どの面方向からも同じようにプロトンを流せる等方的な構造をもっています。さらに、結晶自体を粉砕してパウダー化しても同等なプロトン伝導度を得られるため、加工や成形に対しても有効です。本研究では、新しい分子1が、プロトンを伝えられるHIm基を1分子に6個もち、この分子が180℃近くの高温で、等方的な分子回転をすることで、従来のHImよりも3桁以上も素早くプロトンを伝えることを発見しました。加えて、結晶中をどのようにプロトンが伝わっていくのか、プロトンの伝導経路を特定しました(図3)。今後、本研究成果を礎として、分子設計を発展させ、高温領域で働く分子プロトン伝導体の機能性の向上に役立つと期待されます。
※本研究は、日本学術振興会(JSPS)科研費の基盤研究(B)(15H03851)の助成を受けて実施されました。
専門用語
① 燃料電池 (*1)
燃料電池は図4のように負極では水素(H2)が触媒を介してプロトン(H+)に解離させ、Nafion膜を介してH+を正極に移動させる。正極では、酸素(O2)を負極で取り出した電子と反応させて、水(H2O)にする反応である。
② Nafion膜 (*2)
Nafion膜は図5(a)のようにパーフルオロカーボン高分子材料(-CF2CF2-からなる疎水性のテフロン骨格の主鎖とスルホン酸基-SO3Hをもつ側鎖からなる高分子)から作られており、図5(b)のように水を吸収して疎水性の高分子骨格と親水性の水クラスター部分にミクロ相分離する。このH3O+からなる水分子クラスターを介してプロトン伝導度が約10‒2 S/cmで伝わり、燃料電池の電解質膜として実用化されている。しかし、H2Oが蒸発してしまうために、100℃以上の高温ではプロトン伝導度が急速に低下する。
③ イミダゾール (*3)
図6のような分子骨格をもち、N原子の水素結合アクセプターとNH基の水素原子ドナーの両方を有する分子である。結晶では図のような水素結合をして、イミダゾール骨格を介してプロトンジャンプや分子回転でプロトンを輸送することができる。ヒスチジンなどのアミノ酸残基にも存在し、生体中でのプロトン移動反応も担っている。
④ MOF (*4)
MOF (metal-organic framework) は、日本語では金属有機骨格と呼ばれる分子材料のことで、遷移金属イオンの配位構造と架橋型の配位子が自己組織化することによって作られるナノ多孔質結晶である。架橋配位子の分子構造を変えることで、空孔のサイズや次元性を⾃由に変えることができる新しい分子結晶材料である。
⑤ スターバースト型⾦属錯体 (*5)
図7に示した星が爆発した跡のように、中心から6配位8⾯体構造の頂点にプロトンの授受する配位子が広がっている金属錯体を意味する。分子が回転すると絶え間なくプロトンを授受して輸送することができる構造をもつ。
⑥ Icy-c* のトポロジー (*6)
図8に示したように、立方晶のネットワーク構造をもち、結晶の空間群はPa‒3 (#205) の珍しい結晶構造をもつ。Icyは図8のネットワークの最⼩繰り返し単位をもつ結晶構造である。Icy-c*は左⼿と右⼿に相当するキラルな2つのネットワークが相互貫入を起こした構造に相当する。構造は等方性であり、どの軸方向からも同じような構造をもつ。
論文情報
雑誌名
Chemistry—A European Journal
論文タイトル
Proton Conduction at High Temperature in High-Symmetry Hydrogen-Bonded Molecular Crystal of Ru(III) Complexes with Six Imidazole–Imidazolate Ligands
著者
Makoto Tadokoro, Masaki Itoh, Ryota Nishimura, Kensuke Sekiguchi, Norihisa Hoshino, Hajime Kamebuchi, Jun Miyazaki, Fumiya Kobayashi, Motohiro Mizuno and Tomoyuki Akutagawa
DOI
研究室
田所研究室のページ:https://www.rs.kagu.tus.ac.jp/tadokoro/
田所教授のページ:https://www.tus.ac.jp/academics/teacher/p/index.php?4870
東京理科大学について
東京理科大学:https://www.tus.ac.jp/
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