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2024.02.29 Thu UP

たった数個の有機分子が情報を記憶・計算して血糖値変化を高精度予測
〜分子振動を利用した小型AIデバイスの開発とその動作実証〜

NIMS(国立研究開発法人物質・材料研究機構)
国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)
東京理科大学

概要

  1. NIMSと東京理科大学からなる研究チームは、少数の有機分子の分子振動を利用して脳型情報処理を行う新しい人工知能(AI)デバイスを開発しました。このデバイスを用いて糖尿病患者の血糖値変化を予測した結果、同種のAIデバイスと比較して著しく高い予測精度を達成しました。
  2. 機械学習の産業応用が進むなか、計算性能の高いAIデバイスの低電力化、小型化需要が高まっており、ソフトウェアではなく、材料・デバイスが示す物理現象を脳型情報処理に利用した物理リザバーコンピューティングの研究が進んでいます。しかし材料・デバイスのサイズが大きいことが問題でした。
  3. 本研究では、たった数個の有機分子の分子振動を利用した物理リザバーコンピューティングを世界で初めて実証しました。情報の入力は、有機分子(p-メルカプト安息香酸, pMBA)の水素イオン吸着量(化学状態)を電圧印加で制御して行い、水素イオン吸着量に依存して変化するpMBA分子の分子振動の時間変化を記憶と計算に利用します。ごく少数のpMBA分子のみを使用して、糖尿病患者の約20時間の血糖値変化を学習させ、その後の5分間の変化を予測させて実際のデータと比較したところ、従来の同種デバイスによる最も精度の高い予測誤差を約50 %低減することに成功しました。
  4. たった数個の有機分子が情報を記憶・計算して血糖値変化を高精度予測〜分子振動を利用した小型AIデバイスの開発とその動作実証〜
    図:少数の有機分子(p-メルカプト安息香酸)の分子振動を用いる物理リザバーコンピューティング
  5. 本研究によって、ごく少数の有機分子をコンピュータのように働かせる新技術が得られました。微量材料・微小空間を利用して高性能な情報処理を実現できることは実用上の大きなメリットです。各種センサーとの組合せにより幅広い産業で利用できる低消費電力AI端末機器への応用が期待されます。
  6. 本研究は、NIMSナノアーキテクトニクス材料研究センター(MANA) イオニクスデバイスグループ 西岡大貴研修生(東京理科大学/JSPS特別研究員)、土屋敬志主幹研究員、寺部一弥MANA主任研究者らの研究チームによってJSTさきがけ「新原理デバイス創成のためのナノマテリアル(研究総括:岩佐義宏)」における研究課題「超高速動作イオントロニクスの創成」(JPMJPR23H4)の一環として行われました。
  7. 本研究成果は、Science Advances誌にて日本時間2024年2月29日4時にオンライン掲載されました。

研究の背景

近年、深層学習に代表される機械学習が大きく発展し、様々な産業で活用されています。一方、機械学習によって消費される電力やクラウドとの通信量は指数関数的に増加しており、深刻な社会問題となっています。この解決のため、低消費電力で高精度な計算が可能、かつ小型で集積性に優れたAIデバイスの需要が高まっています。特に「物理リザバー(1)」と呼ばれる材料・デバイスが入力に対して示す物理現象(非線形応答)を計算に利用する高効率な脳型情報処理、物理リザバーコンピューティング(2)が注目されており(図1)、アナログ回路、光学素子、ソフトボディ、ナノワイヤネットワークなど多種多様な材料・デバイスの研究開発が進んでいます。しかし、所望の性質を示す物理リザバーのサイズが大きいことが問題であり、高集積なAIデバイスの実現に向けて、微小な物理リザバーの開発が望まれていました。

たった数個の有機分子が情報を記憶・計算して血糖値変化を高精度予測〜分子振動を利用した小型AIデバイスの開発とその動作実証〜
図1. 物理リザバーコンピューティングの模式図(本研究のように入力数が1の場合)。

研究内容と成果

本研究では、たった数個の有機分子の分子振動を利用する物理リザバーコンピューティングを世界で初めて実証しました。実験では、銀ナノ粒子で表面を修飾した電気伝導性の酸化タングステン(WOx)ナノロッド(直径がナノサイズの棒状の物質)を先端に取り付けたタングステン(W)チップを作用極、白金電極を参照極、対極として備える3端子型電気化学セルを用いました[図2(a)]。WOxナノロッドと銀ナノ粒子の界面近傍には表面増強ラマン散乱(SERS)(3)を示す増強サイト(4)が存在し、pMBA分子を10 μmol/L溶解させた0.15 mol/L NaCl電解質水溶液中にWOxナノロッドを浸漬すると、この増強サイトに数個程度のpMBA分子が吸着します。通常は、このようなわずかな数の分子のラマン散乱は非常に弱く検出することができませんが、本研究ではSERS効果により桁違いに増強することで、pMBA分子のラマンスペクトルを観察しました。pMBA分子のラマンスペクトルは分子内の様々な分子振動モードから構成されており[図2(b)]、ピークの位置や強度はpMBA分子への水素イオンの吸着量、つまり化学状態に依存することが知られています。本研究では、作用極への電圧印加によって誘起される局所的なpH変化に伴う水素イオンの吸着量変化を用いて、情報をpMBA分子の化学状態変化として入力する方法を採用しました。

たった数個の有機分子が情報を記憶・計算して血糖値変化を高精度予測〜分子振動を利用した小型AIデバイスの開発とその動作実証〜
図2. (a) 本研究で用いた3端子型電気化学セルのイメージ図(左)。WOxナノロッドおよびWチップの顕微鏡画像(右)。(b) 様々な分子振動モードを含むpMBA分子のラマンスペクトル。(上段)水素イオンの吸着量が多い状態。(下段)水素イオンの吸着量が少ない状態。

まず、本手法を用いた物理リザバーコンピューティングによって、典型的なベンチマーク試験である波形変換(5)を行いました。図3(a)に示すように、作用極に三角波を入力し、対応して起こるpMBA分子の化学状態変化に伴うラマンスペクトル変化の時間発展を計測し、あるサンプリング波数における散乱強度と出力重みの線形和によって、Sin波、矩形波、位相シフト(位相がπ/2シフト)した三角波、および2倍波(周波数が2倍の三角波)といった非線形に変換された波形を生成しました。Sin波、および2倍波への変換を行った結果を図3(b)に示します。いずれも97 %以上の高い精度で変換できました。それぞれの波形への変換精度について既報のデバイスと比較したところ[図3(c)]、4個もしくは1個と、ごく少数のpMBA分子しか用いていないにも関わらず、どの種類の変換でも90 %を超える最高レベルの精度が得られていることがわかりました。

次に、本手法を用いて糖尿病患者の血糖値変化の予測を行いました。まず、ある1型糖尿病患者の約20時間程度の血糖値変化を電圧信号に変換して作用極に入力して学習(訓練)を行い、その後の同患者の血糖値の変化を予測しました。5分後の血糖値変化を予測した結果と実際の変化の比較を図4に示します。予測波形は実際の血糖値変化の特徴をよく捉えており、得られた予測誤差(22.0 mg/dl)は、従来知られているデバイスのチャンピオンデータ(46 mg/dl)より約50 %低いものでした。

たった数個の有機分子が情報を記憶・計算して血糖値変化を高精度予測〜分子振動を利用した小型AIデバイスの開発とその動作実証〜
図3. (a) 波形変換の模式図。(b) Sin波、および2倍波への変換を行った結果。(c) 本研究と既報のデバイスとの性能比較。

今後の展開

本研究によって、ごく少数の有機分子をコンピュータのように働かせる新技術が得られました。微量材料・微小空間を利用して高性能な情報処理を実現できることは実用上の大きなメリットです。単純な数理モデルのみならず、非常に複雑な人体における血糖値変化をも、少数の分子を利用して予測できたことから、ナノマテリアルの性質を活用する高集積かつ高性能なAIデバイスへの新展開が期待されます。

たった数個の有機分子が情報を記憶・計算して血糖値変化を高精度予測〜分子振動を利用した小型AIデバイスの開発とその動作実証〜
図4. 血糖値変化を予測した結果と真の血糖値変化の比較。

掲載論文

題目

Few- and single-molecule reservoir computing experimentally demonstrated with surface enhanced Raman scattering and ion-gating

著者

西岡大貴、新ヶ谷義隆、土屋敬志、樋口透、寺部一弥

雑誌

Science Advances

掲載日時

2024年2月29日(日本時間)

DOI

10.1126/sciadv.adk6438

用語解説

(1)物理リザバー
入力される時系列信号を、内部で起こる物理現象を利用して非線形変換し出力する働きを持つ物体。非線形性、多様性(高次元性)、短期記憶といった性質が要請されるため、それらの優劣によって計算性能が大きく左右されます。

(2)物理リザバーコンピューティング
「物理リザバー」に信号を入力し、内部で起こる物理現象を利用して信号の様々な特徴で分類することで情報処理を行う手法。物理リザバーコンピューティングでは、大きく分けると、入力を非線形変換して出力する処理(非線形変換)と、それらの線形回帰によって訓練する処理(線形回帰による訓練)が実行されますが、前者は物理リザバーで行われ、後者は通常外部の計算機を用いて行われます。後者の処理(線形回帰による訓練)が計算機を用いてごくわずかな計算資源(計算ステップ数、メモリ使用量)で実行できるのと対照的に、前者の処理(非線形変換)を計算機を用いて行おうとすると大きな計算資源が必要となります。このことから、物理リザバーコンピューティングでは、非線形変換を物理リザバー内部で起こる物理現象を利用して実行することで、計算資源を節約でき消費電力を大幅に低減することが可能です。なお、物理リザバーコンピューティングは、量子重ね合わせや量子もつれといった量子力学的な現象を利用する量子コンピューティングとは異なります。量子コンピューティングには極低温への冷却が必要となりますが、物理リザバーコンピューティングは本研究を含む多くの場合、室温で実行することが可能です。

(3)表面増強ラマン散乱(SERS)
ラマン散乱とは光を物質に入射すると光が物質と相互作用して入射光と異なる波長の光(ラマン散乱光)が放出されることです。入射光とラマン散乱光との波長差は、物質の分子振動のエネルギー分に相当するので、化学状態の変化などにより分子構造が変化すると、異なる波長を持ったラマン散乱光が得られます。表面増強ラマン散乱(SERS)は、金属ナノ粒子や凹凸のある金属表面においてラマン散乱光が大きく増強される現象です。局在表面プラズモン共鳴による光電場増強が主な増強メカニズム。金属ナノ粒子間のナノギャップでは10桁以上の増強効果が得られ、単分子の検出が可能になります。

(4)増強サイト
表面増強ラマン散乱において、光電場が局所的に大きくなる場所で、ホットスポットとも呼ばれます。金属ナノ粒子間のナノギャップの場合は、二つのナノ粒子の最近接点が増強サイトとなり、そのサイズは数ナノメールです。

(5)波形変換
入力信号を非線形に変換して様々な波形を生成する情報処理タスク。三角波を所望の周期信号に変換する本タスクでは、物理リザバーは入力三角波に対して高次高調波の除去/追加および信号の遅延といった情報処理を行います。物理リザバーコンピューティングの非線形演算能力を評価することができるためベンチマークタスクとして利用されます。

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