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2020.11.06 Fri UP

イオンを利用する低消費電力スピントロニクス素子の開発に成功
~磁気メモリ素子やニューロモルフィックデバイスへの応用に期待~

研究の要旨とポイント
  • ●近年、発達する情報社会において、膨大な情報量を扱うための高密度メモリ素子やニューロモルフィックデバイスの開発のためにスピントロニクスデバイスが注目されています。
  • ●本研究では、電圧をかけて固体電解質内のリチウムイオンを強磁性体に挿入することで、スピン流注入による磁化回転よりも低い消費電力で磁化を回転できるスピントロニクス素子を開発しました。
  • ●素子の構造が単純であるため高集積化に有利であり、磁化の向きで記憶するメモリ素子や脳内の神経回路網を模したニューロモルフィックデバイスへの発展が期待されます。

東京理科大学理学部応用物理学科の樋口透准教授、物質・材料研究機構の土屋敬志主幹研究員、寺部一弥MANA主任研究者らの研究グループは、電圧をかけて強磁性体に固体電解質内のリチウムイオンを挿入することで、スピン流注入による磁化回転よりも低い消費電力で磁化を回転できるスピントロニクス素子を開発しました。素子の構造が単純であるため高集積化に有利であり、磁化の向きで記憶するメモリ素子や脳内の神経回路網を模したニューロモルフィックデバイスへの発展が期待されます。

近年、発達する情報社会において、膨大な情報量を扱うための高密度メモリ素子やニューロモルフィックデバイスの開発のためにスピントロニクスデバイスが注目されています。特に重要な磁性体の磁化方向の制御法について、スピン流の注入をはじめとする様々な手法が試みられていますが、消費電力や素子構造の制限、動作温度などの課題が残されており、異なるアプローチが必要でした。

樋口准教授らの研究グループは、電圧を印加するだけでFe3O4薄膜内の磁化を回転させることに成功しました。固体電解質内のリチウムイオンを強磁性体Fe3O4に挿入・脱離させることで、Fe3O4内の電子キャリア密度を大きく変化させ磁化を回転させることができます。磁性体内の磁化の向きを決定する磁気異方性の変化を平面ホール効果により追跡したところ、室温(300K)で磁化を最大56°回転できることを明らかにしました。この制御角度は、圧電体とFe3O4を組み合わせた素子(6°, 300K)や誘電体と強磁性半導体を組み合わせた素子(約10°, 2K)よりも非常に大きいものでした。さらに、本手法の消費電力(10-3J/cm2)はスピン流を利用する方法(1J/cm2)と比べて非常に低いことがわかりました

今回の結果により、リチウムイオンの挿入を用いることで強磁性体薄膜面内の磁化を低消費電力で回転できることが実証できました。この素子の構造は簡素であり、高集積にも有利です。磁気トンネル接合素子の抵抗比が最大となる180°より回転角が小さい等の問題を今後の検討で改善することによって、低消費電力かつ高性能なスピントロニクスデバイスが可能になると期待されます。

イオンを利用する低消費電力スピントロニクス素子の開発に成功 <br>~磁気メモリ素子やニューロモルフィックデバイスへの応用に期待~

図1.本研究で開発したスピントロニクス素子の模式図。基板や測定用電極は省略されている。(左) Fe3O4へのリチウムイオン挿入の模式図。外部電圧を印加することでケイ酸リチウム(Zrドープ)からFe3O4へリチウムイオンが移動する。(右)リチウム挿入による磁化回転の模式図。

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研究の背景

スピントロニクス(※1)素子は高密度記憶素子の発展だけでなく、これからのIoTを担う人工知能を構成するニューロモルフィックデバイス(※2)への応用が期待されています。なかでも、2つの強磁性体(※3)で絶縁体を挟んだ構造を持つ磁気トンネル接合(MTJ)は、近年、画像記憶や音声認識等の分野で、盛んに研究がされています。しかし、MTJの制御自体に課題が残っています。MTJは絶縁層で隔てられた2つの強磁性体の磁化方向の相対角度に依存した素子抵抗を示します。この磁化方向の制御には大きな電流密度が必要であり、低消費電力化が求められています。

これに対して、誘電体による磁性体のキャリア密度制御や圧電体による磁性体の内部応力制御、スピン流(※4, 5)注入など、さまざまアプローチがとられてきました。しかし、消費電力や動作温度の低さ、素子構造の制限などの問題が残されており、室温で強磁性を示す材料の磁化方向を低消費電力かつ簡素な素子構造で制御する新手法の開発が期待されていました。

研究結果の詳細

樋口准教授らの研究グループは、簡素な構造にもかかわらず、高密度のキャリア注入が可能な全固体酸化・還元トランジスタ(※6)を用いて、フェリ磁性体(※7)Fe3O4薄膜の磁化方向を室温で56°と比較的大きく変化させることに成功しました。固体電解質(※8)とFe3O4を組み合わせた全固体酸化・還元トランジスタは2016年に本グループで開発され、固体電解質中のリチウムイオンをFe3O4へ挿入することで磁化や磁気抵抗効果といった基本的な磁気特性を制御することに成功しています。本研究では、磁気メモリ素子を動作させるために必要不可欠な磁化の方向に注目し、平面ホール効果(※9)により詳細な磁化方向の変化を追跡しました。

Fe3O4において磁化方向によって磁気的エネルギーが異なるため、エネルギーが最も小さくなる(エネルギー的に安定)方向に磁化が向きます。本研究のFe3O4薄膜の磁化は薄膜面内方向を向いています。このエネルギーの違いは磁気異方性(※10)と呼ばれ、キャリア密度に敏感であることが知られています。したがって、Fe3O4のキャリア密度を十分変化させることができる全固体酸化・還元トランジスタの印加電圧を変化させながら、平面ホール抵抗を測定することで磁化方向を変化させることができると考えました。

Fe3O4の磁化方向を制御するための素子は、図1に示すようにFe3O4/ケイ酸リチウム/コバルト酸リチウム/白金の積層構造をしています。図1ではMgO基板が省略されていますが、実際は図2に示すようにMgO基板上にFe3O4薄膜が蒸着されており、エピタキシャル成長(※11)していることがわかります。Fe3O4は強磁性を示す電子伝導体です。ケイ酸リチウムはリチウムイオン伝導性を示す固体電解質であり、コバルト酸リチウムは電子とリチウムイオン両方が伝導できる混合伝導体です。コバルト酸リチウム/白金を正極として電圧を印加すると、リチウムイオンが固体電解質内を伝導し、Fe3O4に挿入されます。この挿入量を電圧によって制御しながら、強磁性体の磁化方向に敏感な平面ホール抵抗を測定することで、各電圧における磁化方向と異方性磁界(※12)が明らかになります。

イオンを利用する低消費電力スピントロニクス素子の開発に成功 <br>~磁気メモリ素子やニューロモルフィックデバイスへの応用に期待~

図2.デバイス断面(MgO基板/Fe3O4/ケイ酸リチウム)の透過型電子顕微鏡像。

図3(左)に示すように、印加電圧が0.0Vのとき、磁化方向は基準の[110]から約30°反時計方向にずれています。印加電圧を1.0Vまで大きくしていくと [110]のほうへ約10°回転しました(図3(左)と(中))。これは、Fe3O4内の電子キャリア密度の増加に伴って磁化方向が変化していることを表しています。また、図3(右)に示すように、印加電圧0.0~1.0Vの範囲では異方性磁界の変化がありませんでした。これは、ある方向に磁化を固定する磁気異方性が保たれていることを意味しています。さらに、可逆的にリチウムイオンをFe3O4に挿入・脱離することが可能であるため、磁化方向を安定かつ可逆的に制御することができます。

一方で、1.0Vより大きな印加電圧領域では、急激に磁化が回転し、2.0Vでは56°と非常に大きな磁化回転を達成しました。この回転はFe3O4薄膜のキャリア密度の600 %超に匹敵する高密度キャリアの注入によるものです。ただし、56°の回転角の一部は不可逆的成分であり完全な可逆変化ではありませんでした。高濃度のリチウムイオンとFe3O4によって、本来のスピネル相(※13)から岩塩相(※14)へ部分的に薄膜内の構造が変化したためです。不可逆的な構造変化を抑制することができれば、安定して大きな磁化回転を実現することができます。

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図3.Fe3O4へのリチウムイオンの挿入量を変化させたときの(左)異方性磁界の方位依存性と磁化方向と(中)磁化回転角と(右)異方性磁界。

リチウムイオンが挿入されることでFe3O4の磁気異方性が変化するメカニズムは、電子注入に伴うスピン-軌道結合(※15)の変化で説明することができます。Fe3O4のスピン配置は図4(左)のようになっています。Fe3O4内のFeイオンの占有サイト(※16)は2つあり、それぞれAサイトとBサイトと呼ばれています。3つのFeイオンはAサイトにFe3+として、BサイトにFe2+とFe3+として存在します。Fe3O4のスピン-軌道結合は、(1) eg(FeB)- eg(FeA)、(2)t2g内(FeB)、(3) t2g(FeA)- t2g(FeB)と想定されます。ここで電子を1つ注入すると、スピン配置は図4(右)のようになります。この注入サイトは、印加電圧に伴ってFe3O4の電気伝導度と磁気抵抗比が増加したことから決定しました。すると、(3)のスピン-軌道結合は(2)t2g内に変化します。このように、ダウンスピンが注入されることで、スピン-軌道結合が変化し、磁気異方性が変化したと考えられます。

イオンを利用する低消費電力スピントロニクス素子の開発に成功 <br>~磁気メモリ素子やニューロモルフィックデバイスへの応用に期待~

図4.リチウムイオンが挿入されたときの、Fe3O4のフェルミ準位(EF) (※17)近傍のスピン配置の変化の模式図。(左)Fe3O4のスピン配置。(右)リチウムイオンが挿入されたとき(LixFe3O4)のスピン配置。

今回、研究グループが明らかにしたFe3O4へのリチウムイオンの挿入に伴う室温での磁化方向制御により、スピン流注入による磁化回転よりも非常に低い消費電力動作を可能としました。開発した素子は単純な構造で動作します。今後は180°の磁化反転を目指すと共に、MTJと組み合わせた高密度大容量メモリ素子やニューロモルフィックデバイス等への応用に向けた実証実験を進める予定です。

※本研究はJSPS科研費新学術領域研究「蓄電固体界面科学」公募研究A04(JP20H05301)及び特別研究員奨励費(JP19J13859)の助成を受けて実施されました。

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用語

  • ※1 スピントロニクス:固体内の電子が有する電荷とスピンの両方を工学的に応用する分野であり、エレクトロニクスとスピンから作られた造語。
  • ※2 ニューロモルフィックデバイス:人間の脳内神経回路(ニューラルネットワーク)を模したデバイス。
  • ※3 強磁性体:固体内のスピンが自発的に整列することで、磁場なしで有限の磁化をもつ物質。
  • ※4 スピン:電子の自転による角運動量。アップ(上向き)スピンとダウン(下向き)スピンの2つに分類され、磁気特性と密接な関係がある。
  • ※5 スピン流:スピン角運動量の流れ。電荷の流れ(電流)ではないため、ジュール熱のようなエネルギー損失が生じない。
  • ※6 全固体酸化・還元トランジスタ:チャネル層と固体電解質、電極から構成される全固体デバイス。電圧を印加して固体電解質内のイオンがチャネル層に挿入・脱離する際の酸化反応(電子を奪う)・還元反応(電子を与える)により、電子キャリア密度を制御することができる。
  • ※7 フェリ磁性体:固体内のスピンが互い違いの向きに整列した磁性体。スピンの大きさが向きによって異なるため、完全に打ち消しあわず全体として強磁性的な磁化を示す。
  • ※8 固体電解質:イオンの移動によって電流が流れる固体。
  • ※9 平面ホール効果:面内方向に磁化をもつ強磁性体に電流を流すと、電流と垂直な方向に起電力が生じる現象。この起電力は電流と強磁性体内の磁化の相対角度に依存している。磁場をかけながら一周回すことで、磁化方向に依存した平面ホール抵抗を得ることができる。強磁性体の磁気異方性が反映される程度の比較的弱い磁場を印加することで、後述の異方性磁界や磁化方向を決定することができる。
  • ※10 磁気異方性:磁化の方向に依存して強磁性体内の磁気エネルギーが異なること。磁化はエネルギー的に安定な極小値となる方向を向く。
  • ※11 エピタキシャル成長:基板の結晶方位を選択することで、その上に成長する結晶の方位を制御して成長させる技術。
  • ※12 異方性磁界:磁気異方性の強さを表す物理量。
  • ※13 スピネル相:単位胞が酸素を頂点とする4面体と8面体で構成される構造を有する状態。4面体と8面体内に金属イオンが存在する。
  • ※14 岩塩相:スピネル相の4面体内の金属イオンが変位することで生成される。岩塩NaClと同じ原子配置をとることからこのように呼ばれる。
  • ※15 スピン-軌道結合:ある軌道を占有するスピンと非占有の軌道間での相互作用。結合する軌道の対称性は、磁気異方性と密接に関係する。
  • ※16 Feイオンの占有サイト:Fe3O4にはFeイオンが存在する2種類の位置。4つの酸素を頂点とする4面体内(Aサイト)と6つの酸素を頂点とする8面体内(Bサイト)がある。主に8面体がFe3O4の電子伝導の経路となる。
  • ※17 フェルミ準位:電子をその固体中で低いエネルギー状態から詰めていき、その数が全電子数に相当するところのエネルギー状態。

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論文情報

雑誌名 ACS NANO 2020年11月2日 オンライン掲載
論文タイトル Room Temperature Manipulation of Magnetization Angle, Achieved with an All-Solid-State Redox Device
著者 Wataru Namiki, Takashi Tsuchiya, Makoto Takayanagi, Tohru Higuchi, Kazuya Terabe
DOI 10.1021/acsnano.0c07906

発表者

並木航  東京理科大学大学院 理学研究科 応用物理学専攻 博士後期課程3年(筆頭著者)
土屋敬志 物質・材料研究機構 国際ナノアーキテクトニクス研究拠点 主幹研究員(責任著者)
高栁真  東京理科大学大学院 理学研究科 応用物理学専攻 博士後期課程2年
樋口透  東京理科大学 理学部第一部 応用物理学科 准教授
寺部一弥 物質・材料研究機構 国際ナノアーキテクトニクス研究拠点 MANA主任研究者

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樋口研究室
研究室のページ:https://www.rs.kagu.tus.ac.jp/higuchi/index.html
樋口教授のページ:https://www.tus.ac.jp/fac_grad/p/index.php?3402

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