初習語分野の担当教員がおすすめする本
- フランスの神話と伝承教員のコメント
子供の頃、ガルガンチュアのような巨人、巨馬バヤール、親指小僧、メリュジーヌのような妖精、呪われた狩りが出てくる童話をたくさん聞いたり読んだりしました。これらの民話的な存在はフランス人が子供の頃から知っているものである。しかし、この民話の起源は想像以上に古く、少なくともケルト人の神話まではさかのぼることができます。ケルト人の信仰は、その後ローマ人の信仰と混ざり合い、さらにキリスト教と融合し、北欧の国々とは逆に、ゲルマン伝説がわずかに残されるにとどまったのです。本書は、現在でも多くのフランス、さらにはヨーロッパの文化製品(小説、映画、漫画、ボードゲーム、ビデオゲームなど)の基礎となっているフランスの民間伝承や伝説の主要なテーマを簡潔な言葉で紹介します。中には、日本のある種の物語を彷彿とさせるものもあり、非常に興味深いです。また、これらの伝説に歴史的背景を分かりやすく与えているため、フランス文化に関する知識を深め、さらにはフランス語をより理解することもできます。
- 十年ごとに読みなおすために、大学時代に読んでおきたい一冊若きウェルテルの悩み教員のコメント
恋愛小説の枠をはるかに超えて、人生そのものについての深い洞察に満ちた本です。感受性あふれる心を唯一の拠り所にして全力で生き、社会と衝突することも辞さない熱い主人公の姿は、突出した意見を述べるとすぐに「炎上」しかねない現代に生きるわれわれの目から見ると、まぶしくも、ウザくも映るかも知れません。「君たちは本当に生きていると言えるのか?」と読者を挑発してやまないこの小説は、共感するにせよ、反撥するにせよ、大学時代にぜひ読んでおくべき一冊だと思います。30代、40代、50代・・・と、十年ごとに読みなおすことで、自分の考え方の変化や成長をはかることのできる、奥行きを持った稀有な書物だからです。
- 原文でも味わおう、偉大な科学者の名言科学者という仕事 独創性はどのように生まれるか教員のコメント
ニュートンやキュリー夫人、アインシュタインら、科学史に名を遺した偉大な人物たちの含蓄に富んだ言葉を通して、科学とは何か、科学者はどうあるべきかを考察したすぐれた本です。引用された言葉の原文(英語、フランス語、ドイツ語)が、54も巻末に収録されているので、辞書をひきながら、その意味をじっくりと考えてみるのも楽しいと思います。私は担当しているドイツ語の中級の授業で、この本に収録されているアインシュタインの言葉を、学生さんたちと一緒に読んでいます。
- どうか皆さん、最近、似たような行為が私たちにあったのではないか、いや、似たような行為はなかったのではないかと、心のなかをじっくりさぐって頂きたい。アンティゴネ教員のコメント
はるか昔のテーバイで、二人の王子が王位をめぐって殺し合った。摂政のクレオンは、国を守って死んだ王子は埋葬するが、攻め込んだ王子の遺体は野晒しにせよ、悲しむことも禁ずるというお触れを出す。王子たちの妹アンティゴネは、野晒しにされた兄に土をかけて弔い、法を犯したかどで生きたまま岩牢に幽閉される。
三大悲劇詩人の一人ソフォクレスのギリシア悲劇『アンティゴネ』は、何世紀もの間読み継がれ、翻訳され、上演され、法と正義、国と家族、生と死、権力への抵抗などさまざまな観点から解釈されてきた。20世紀ドイツの劇作家ブレヒトによる改作版は、独特の意表を突く言い回しが光る。 - どんなに危険だって、やらなきゃならない物事があるんだよ。…そうしなければ、もう人間じゃなくて、けちなごみくずになってしまうからだよ。はるかな国の兄弟教員のコメント
地上での生を終えた10歳の少年クッキーは、13歳の兄ヨナタン・レヨンイェッタが待つ死後の世界ナンギヤラに転生する。「たき火とおはなしの時代」での胸躍る冒険を望んだクッキーだが、待ち受けていたのは暴君の圧政と自由を求める戦いという「あってはならない冒険」だった。
美しく、強く、聡明な兄を尊敬し、どこまでもついて行くクッキーは、自分の弱さや臆病さと向かい合い、「レヨンイエッタ」(獅子の心)の名に恥じない勇気をもって、命を懸けた戦いに参加する。『長くつ下のピッピ』の作者が円熟期に書いた名作で、スウェーデンでは生と死を考える本としても名高い。 - 大むかしには、いまわたしたちが見ている太陽や月とは、すっかりちがった、べつの太陽と月がありました。北欧神話教員のコメント
世界を構成する木ユッグドラシルは倒壊の危機にあり、神々は最初の巨人イーミル(ユミル)を殺して世界を創造した時から、生き残った巨人とその子孫に脅かされている。神々の父で死神のオージン(オーディン。Wednesdayの語源)、力強く短気な雷神トール(Thursdayの語源)、戦乙女ヴァルキリア、勇敢な戦神チュール(Tuesdayの語源)、愛と豊穣の女神フレイア(Fridayの語源)、虹の橋の番をする神で人間の祖となったヘイムダル、巨人出身だがオージンの義兄弟として神々の世界に暮らすロキ。巨人族と滅ぼしあう最後の戦い「ラグナロク」に向かう運命の中で、神々が、生き、愛し、知恵を働かせ、戦うさまが個性豊かに描かれる。
日本のゲームや映画、漫画にも多くの題材を提供する北欧神話の神々の物語を分かりやすく書いた一冊。 - 死んでいるのでもなければ、生きているのでもないような自分自身の姿を見る。クラバートの生命を形成しているすべてが、いまはこの外界にあるのだ。からだの外にあるのだ。いまは自由で、かろやかで、なんの拘束も感じない。クラバート教員のコメント
物乞いの少年クラバートは、ある新年に夢の中で十一羽のからすに名前を呼ばれ、その夢に導かれて水車小屋の徒弟になる。その水車小屋は、昼間は粉ひきの臼が回るが、金曜日の夜になると親方から魔法を教わる<魔法の学校>だった。井戸を翌日まで封鎖する術、姿を変える術、自分のからだからぬけだしていく術、頭のなかで他人に話しかける術…。少年クラバートの目に便利なものと映った魔法と秘密の多い水車小屋は、時とともに不気味な側面を表していく。
ドイツのスラヴ系少数民族ソルブ(作中では「ヴェンド人」)に伝わる伝説を、『大どろぼうホッツェンプロッツ』の作者がハイティーン向けにリライトしたロングセラー。 - わが食う魚(いお)にも海のものには煩悩のわく。苦海浄土 全三部教員のコメント
1960年1月、「奇病」と題する短編作品が九州の雑誌『サークル村』に掲載された。後に水俣病として広く知られることとなる病に罹患した女性の「聞き書き」をもとにした「ルポルタージュ」とされていた。これを皮切りに、石牟礼道子は雑誌『熊本風土記』に「海と空のあいだに」と題する連載を開始、1969年に第一部『苦海浄土 わが水俣病』、1974年に第三部『天の魚』、一連の水俣病訴訟がほぼ終結した2004年に第二部『神々の村』が刊行される。
患者の一人称語りは、患者をたずねる「わたくし」の一人称語り、カルテなどの資料と並ぶ本作の構成要素であるとともに、本作最大の特徴である。この部分は現在、聞き書きをもとにしたルポルタージュではなく、患者が心の中で思っていることを石牟礼が言葉にした文章であることが知られている。過酷な現実の中で患者たちの夢見た前近代と近代を描出し、「苦海」が「浄土」となる瞬間を語る、現代日本文学の最高峰。 - ひとりになって、音楽を聴くかのようにカフェ・シェヘラザード教員のコメント
読みながら、「まるで音楽を聴いているようだ」と感じる本というのが、あると思いませんか? 私は、このオーストラリアの現代作家の代表作を原語で読んで、最初の数ページ目からずっと、そう感じていました。中身はポーランドのユダヤ難民たちの話なのですが(一部、日本の神戸にも関係しています)、この本の主役は「音」だと思う。自分で訳した本を、このような場で「推薦」するのは烏滸がましいとも思ったのですが、訳しながら、「これは理科大生の皆さんにも読んで欲しいなあ」と感じていましたので、あえて選びます。インターネットとSNSの発達により、ついに私たちは、寝ているとき以外、常に誰かと繋がっており、決して「ひとり」になれない時代を生きるようになってしまいました。でも、このコロナ禍で、人と会えない日々が長引くなか、逆に「ひとり」で、ただ一冊の本とともに、じっと過ごす時間の大切さを思い出してみるのはどうでしょう。情報を得るためではなく、ただ音楽を聴くかのように。
- 科学・学術の世界での「性差」を考えてみたいときにマリー・キュリーの挑戦 科学・ジェンダー・戦争教員のコメント
ネタばれですが、来年度から「科学技術と文化」の授業を「映画に見る科学者の肖像」というテーマでやってやろうと企んでおり、その予習のための参考文献のひとつがこれです。キュリー夫人を題材にした映画には、有名な「キュリー夫人」(1943年、アメリカ)と、本邦未公開の「レディオアクティヴ」(2019年、イギリス)がありますが、これらの映画作品を論じるにあたって、川島さんのこの本は、とても助けになります。同時に、近代(そして現代も)の科学・学術の世界が、いかに男性中心主義によって歪められてきたか(いるか)、深く反省させられます。生理的な条件に関係のない科学、学術、そして大学の世界も、早く、特に「努力目標」などにしなくても、男女半々(もちろんLGBTもそこに含めて)になる日が来るといいなあ、「ジェンダー論」などというものが論じられる必要のないような世界になるといいなあ、と心からそう思います。
- 何だかわからないけど、人生が嫌になったときに吉野葛教員のコメント
大学院生の頃、人間関係とか進路とかのことで、どうしようもなく落ち込んでしまい(今から考えると何でもないことなのですが)、真面目に自死も考えたことがありました。その時、ふと手にしたのが、この谷崎の隠れた逸品です。読んで、居ても立ってもいられなくなり、奈良の吉野へ一人旅に出たくらいです。秋でした。よほど死にたい顔でもしていたのか、泊まった民宿のおじさん、おばさんから、「あんた、早まるじゃなかよ」と声をかけられたのを覚えています。作中、白狐の「恋しくば尋ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」の歌が、どういうわけか、私に「もうちょっと生きてみよう」という気を起こさせました。その因果関係は、いまもって不明です。おそらく、「まだ、自分の知らない世界がある」と感じたからではないでしょうか。落ち込んだときは、下手に「ストレス解消」「悩み事Q&A」といったハウツー本に手を出すより、文学の〈名著〉を噛むように読むのも捨てたものではないと思います。