東京理科大学の前身である東京物理学校の創設者21人を紹介するシリーズ第4弾は、夏目漱石と関わりのあった創設者を紹介します。数学教師「坊っちゃん」(【初出】「ホトトギス」1906年4月)が物理学校卒との設定になった背景に焦点を当てます。なお、新宿区立漱石山房記念館において2026年10月10日(土) ~ 12月6日(日) に開催されるの「坊ちゃん、松山へ行く!」に関わる展示とのタイアップ企画として行います。
3人が東京大学理学部物理学科(仏語)を卒業してからのあゆみをたどり、夏目漱石との関わりや教育者としての人物像を紹介します。
保田 棟太 1856(安政3)年-1919(大正8)年 大分県平民 維持同盟員
1884年第一高等学校(東京大学教養学部の前身)の前身である東京大学予備門御用掛となり、以来35年にわたり同校に奉職。長く教授職にあり数学を担当、三角法の講義は第一高等学校の名物と言われていた。在職中に漱石が在学、卒業後は英語担当の嘱託講師として赴任した。
櫻井 房記 1852(嘉永5)年-1928(昭和3)年 石川県士族 維持同盟員
1881年設立時の東京物理学講習所校主。欧州留学、東京師範学校(筑波大学の前身)教諭を経て、1890年第五高等中学校(熊本大学の前身)教頭兼教授となり、物理、天文、仏語等を講義。在職中に小泉八雲と夏目漱石が赴任。1900年校長に昇任。漱石にイギリス留学を勧めた。
中村 恭平 1855(安政2)年-1934年(昭和9)年 愛知県士族 維持同盟員
1879年長崎師範学校(長崎大学の前身)訓導、その後教諭。1887年福島県尋常師範学校(福島大学の前身)長、1895年新潟県尋常中学校( 新 潟 県 立 新 潟 高 等 学 校の前身)長となる。1898年東京帝国大学舎監、山川健次郎総長の秘書的業務も行う。1930年東京物理学校第3代校長に就任、亡くなるまでその職責を果たした。自宅近くに住んでいた漱石と交流があった。
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講師:岡本 拓司 東京大学 大学院総合文化研究科 教授
講師:村田 由美 玉名市草枕交流館館長