インストラクターブログ

三六式無線電信機

こんにちは。学生スタッフのT.Y.です。今回の企画展で取り上げている三六式無線電信機について紹介したいと思います。

三六式無線電信機を紹介する前に、無線電信機の仕組みについて簡単に説明します。現代の私たちの生活ではスマートフォンやラジオのような無線通信は身近な存在になっています。その原点となったのが「無線電信機」です。仕組みは、電気信号を電波に変えて空気中に飛ばし、離れた場所でその電波をもう一度電気信号に戻すといったシンプルなものになっています。

送信側では、まず「電鍵」と呼ばれるスイッチを使ってモールス信号を打ちます。モールス信号は点と線の組み合わせで文字を表す符号で、「トン・ツー」の繰り返しで言葉を伝えます。このONとOFFの信号を発振回路というもので高い周波数の振動電流に変え、アンテナから放射します。放たれた電磁波は光と同じように空間を進み、遠く離れた受信アンテナに届きます。アンテナに届いた電波は小さな電気の流れに変わります。これを検波器で整えると、ヘッドホンから「トン・ツー」というモールス信号の音として聞こえるのです。こうした無線通信は、当時としては画期的な技術でした。

その無線電信機ですが、日本で初めて国産化されたのが「三四式無線電信機」(1901年)です。海軍技師・木村駿吉らが中心となり、外国製マルコーニ装置を参考に開発されました。通信距離は艦船間で40海里(約74km)、陸上局との間で70海里(約130km)程度にとどまりましたが、国産技術で無線通信を実現した意義は大きく、日本の無線開発の出発点となりました。

その改良版として1903年に登場したのが「三六式無線電信機」です。高性能な誘導コイルの採用や、回路・継電器の改良によって通信距離は飛躍的に延び、最終的には1,000kmまで達しました。また船舶運用に耐える堅牢な構造が施され、実用性が格段に向上しました。通信距離や安定性を決めるのは電源・回路・部品品質など一般的な要素ですが、三六式はそれらを総合的に高めたことで、初めて実戦に投入できる水準に達したのです。

その真価が発揮されたのが1905年の日本海海戦です。仮装巡洋艦「信濃丸」がロシア艦隊を発見し、「敵艦見ユ」と無線で報告しました。この通報は中継を経て東郷平八郎が率いる連合艦隊旗艦「三笠」に届き、日本海海戦開戦の皮切りに、そして日本勝利のきっかけとなりました。

今回の企画展では、この三六式無線電信機の日本海海戦における活躍と、その実現に必要不可欠であった蓄電池の調達について紹介しています。蓄電池の調達には、東京物理学校創立者の一人である難波正も深く関わったといわれています。展示は通じて、科学の地道な進歩が現在の私たちの生活をより豊かにしていったことを知っていただけたらと思います。ぜひお越しください。

150
HEIC