資料館学生スタッフのS.H.です。11/8(土)に「工学者を育成し、京都の近代化と地域振興に寄与した『京都の3人』難波正・三輪桓一郎・玉名程三」関連イベントとして、東京理科大学教授の神野潔先生に「澤柳事件の一人となった三輪桓一郎」というタイトルで講演していただきました。
澤柳事件とは1913年から1914年にかけて京都大学で起きた大学自治をめぐる事件のことです(澤柳事件の概要については近代科学資料館)。講演では、三輪桓一郎の経歴から始まりました。三輪は東大仏語物理学科という3年間のみ存在して学科で学び、東大助教授になります。しかし、東大の教授にはならず、学習院の教授になります。その後京都大学の教授になります。が、博士号がなく、他の教授らが大学卒業後すぐにドイツに留学しているのに対して、三輪はフランス語で学び、卒業の23年後にようやくフランスに留学したということが、他の教授らとの、ずれになってしまったのではないかと語っていました。
そして、澤柳事件については、その当時の状況も含めて話を展開していました。当時、帝大教授には定年がなかったこと、世論はむしろ歓迎寄りだったということ、淘汰というものが他の業界でも起こっていたということ、しかし、批判の声もあったということなど、多くのことに触れられていました。そして、澤柳による7名の免官があり、法科大学の対抗、澤柳と法科大学の行き違い、そして、最終的に教授の進退には教授会の同意が必要であるという覚書を交わすことになるという、事件の顛末を語られました。講演の最後には、この事件の意義として、京都大学で教鞭をふるっていた7名が、多少理不尽ではあるが、免官され、他の場所に移ることになったのが学問の普及に少なからず影響を及ぼしたのではないかと、述べられました。
私自身の感想としては、三輪を知るために三輪の置かれていた環境、周囲の人々について調べることが、深くなされていて、やはり本職の先生はすごいなと感じたのと、最後うまく締めくくられていて、その話の組み立て方も参考になりました。
企画展では私がまとめた澤柳事件のパネルもあるのでぜひ見に来て下さい。