- ウクライナ民話『てぶくろ』福音館書店1965
子どもたちに読み聞かせをしていた頃、違和感ある「おしまい」だと思った。が、すっかり忘れていた。『てぶくろ』はロングセラー絵本。多くの保育園の本棚に並んでいる。絵本では『ぐりとぐら』のように楽しく「おしまい、おしまい」が多いが、時には『さるかに合戦』のように気持ちがザワザワするおしまいもある。でも、そのどちらにも「違和感」はない。
2022年2月24日の侵攻開始からどれくらい後だろう。当時の違和感と共にこの本を再発見した。読み直すと、この絵本の「おしまい」は異国の昔語(むかしがたり)のそれなのだと強く感じる。日本のお話なら手袋は動物たちの家になっただろう。イソップ(ギリシャ)なら喧嘩で手袋は引きちぎれて誰のものにもならなかったかもしれない。でもウクライナ(あるいは「スラブ民族」?)はそのどちらでもない。どう思うだろう?。熊は誰で、お爺さんは誰なのか。なぜここで・これで「おしまい」なのか。 - 黄金比創元社2009
「自然という書物は数学の言葉で書かれている」と言われると「人はパンのみで生きるにあらず」と返したくなるが、とはいえ「比(ratio)」は神の創造の証であった。中でも、記号φ(ファイ=パルテノン神殿他、古代随一の彫刻家フィディアスPheidiasの頭文字)で現される黄金比は神秘である。黄金比が現れるのは「美しい彫刻」に限らない。五芒星形、イマゴー・デイ(神の似姿)、和声(ハーモニー)、黄金多面体、フィボナッチ数列やリュカ数列。かのプラトンの「線分の比喩」は果たして、「万物は数である」とするピュタゴラス派の秘蹟を語るものだったのか。古来、大学の教養に「音楽」が含まれた理由も、音階や和声を形作る比(ratio)が人の魂の中心たる理性(ratio)を整えると考えられたからだ。となれば、必修となっている道具的数学はほどほどに、宇宙の神秘φの話は如何だろうか。「数」と神秘とが切り離せないコスモスに我々は生きている。
- 幽霊塔岩波書店2015
読むよりもまず手に入れることをおすすめする。本はコレクションの対象であり、工芸品である。
小説であれば当たり前だが内容の面白さが求められる。しかし、だからと言って文字が並んでいれば(だから嵩張(かさば)らない電子書籍で)十分というのは本の楽しみの半分を失っている。図書館や書斎が独特の空間であるのは、装丁の美しい本がある秩序をもって並んでいるからだ。だから図書館にも「二流」がある。図書館が立派であるのは、「知」が「美」と共にそこにあるからだ。この本は宮崎駿によるカバーや口絵(ほぼ短編の漫画だ)がついた美しい本の一つ。その背表紙を書架に並べたい。そしてその本が、その中身が、かの『ルパン三世 カリオストロの城』の(ルブラン作品以外の)着想の一つだとすれば、これは本を開き、読むしかないのである。繰り返すが、他の『幽霊塔』ではない。この「版」で楽しむことが大事なのである。 - 東京オリンピックと、繋がれない寂しさとAKIRA 1〜6巻講談社1984〜1993年
「未来の東京オリンピック」と聞いて多くが思い出すのがこれ。掛け値なしのSF漫画の金字塔。オリンピックに合わせた展覧会『MANGA都市TOKYO』(2020年:2018年にパリで同様の展覧会が開催)でももちろん主役のひとつだった。
僕らは人よりもちょっとだけ秀でた力が欲しい。その力があれば認められてみんなの中で自分の場所が得られるかもしれない。もっと力があったらみんなの中心にいられるかもしれない。そしてレースではトップに立ちたい。それこそが中心にいる一番の方法。勉強も、運動も、良い大学に入るのも良い会社に就職するのも、「中心」から外れないためじゃないのか。
もうすぐオリンピックが予定されているのに、人々はバラバラで中心に穴が空いた東京。さて、僕らは結局何を望むのか。何を中心に置くのか。その中心とどう距離をとり、そして繋がっていくのか。鉄雄の切ない渇望と共にAKIRAをめぐる冒険の世界に今こそハマりたい。 - それが本棚にあるだけで風景が違ってくる本クレーの絵本講談社1995年
世界最古の漫画は『鳥獣戯画』ではないかという(怪しい?)説もあるが、我々は絵と言葉を一緒に心に留めつつ物語る技法を時代とともに磨いてきた。親やセンセイの読み聞かせで食い入るように見つめた数々の絵本が個性の古層に眠る経験であるなら、絵画と詩による大人の絵本で新しい層を重ねるのはどうだろうか。
おうちで寝転んで眺めるだけで良いのだ。詩は「読む」のではなく、気に入ったところを口ずさむものだ。時に鮮やかな、時にどんよりした、あるいは淡い、あるいは明るい、そしてしばしば不安なパウル・クレーの色遣いを愛でつつ、谷川俊太郎独特の言葉のリズムで心を揺らしてみたくなる。現代詩の言葉の連なりのハルモニアを自らの耳にささやいてみないか。
「金色の魚」の表紙がテーブルの上に無造作に置いてあるだけで、マスクなしの散歩を待ち望む灰色の部屋が明るくなるだろう。そして静かに扉を開くと、まずは静かに微笑む「忘れっぽい天使」(Klee, 1939)がそこにいる。 - 何度でもやり直せるなら、と切実に思う今日この頃ターン新潮社2000年
『Re:ゼロから始める異世界生活』(2012~)『魔法少女まどか☆マギカ』(2011)、トム・クルーズ主演の『オール・ユー・ニード・イズ・キル』(2014)などなど、今やタイムリープ(注:繰り返しのないタイムスリップとは区別)はSFの常道だけれど、そのアイデアは最近のものだ。北村薫は『スキップ』『ターン』『リセット』の3部作で、それぞれ、「未来を生きる」「繰り返し生きる」「過去をやり直す」物語を紡いでみせた。『ターン』はその真ん中。著者自身も認めているが、一足早くケン・グリムウッドの『リプレイ』(1986:翻訳1990、新潮社)が出てしまったので、残念ながら日本一だが世界で一番ではない。
アイデアの原点に遡るのはある種の「概念史」として、そのアイデアに横たわり絡まりまつわる問題を見渡すのに有効だ。ゲームの世界では倒れても途中から再開しやり直しができるその仕組みそのものがある種のタイムリープだが、実に羨ましい。こんなコロナな状況の今、できればタイムリープしてみたい、と思わずにはいられない。そこで、その願望の先にどんな世界があるのかを物語の世界で楽しもう。『リプレイ』(新潮文庫)も併せて読めばもはや君はタイムリープの達人。記憶の保持による「解決策」の試行や実施といった利点だけでなく、起こりうる「問題点」も含めて、その道の知識人。アニメやラノベでチャチな設定を見たら「やり直せ!」と突っ込みを入れるのも思いのままだ。 - コロナで梅雨。数学の窓から世界をのぞいてみたい。虚数の情緒 中学生からの全方位独学法東海大学出版会2000年
部屋の中でぼんやりケータイをいじってもなんだか面白くない。何か新しいことを始めたい。でも、いきなりの冒険は難しい。だったら料理を始めるか、鉢植えを愛でるか、ダイエットビデオを観るか。いやいや、あえて分厚い本にチャレンジして自慢するのはどうだろう。読書に自信があるのなら『カラマーゾフの兄弟』だろうが、ここは『虚数の情緒』。数学から広がる世界を眺めてみよう。
これは教科書や参考書とは全く違う、読み物としての数学。どうして数学が嫌いになるのかなどの教育論から始まって、歴や数字の歴史、地理や物理、ピタゴラスやパスカル、美の話からアルキメデス、誕生日と確率の話、野球の送りバントの話まで出てくる。さらに、二次方程式を扱っていたと思ったら話が進むとマクスウェル方程式、相対性理論から量子脳の話題まで、縦に横にとバラバラだった世界が順番に繋がっていく。うんちく満載。まさに「全方位」。受験や試験のための数学とは違う、教養としての数学がここにある。
「指数関数って結局何をやっているんだろう?」と、ぼんやり思っていた高校時代の疑問が、「ああ、まあ、こういうことか」と、一種の数学辞典の趣も感じる。
タイトルにもなっている「虚数」。それはこの世には実在しない。実在しないものを扱い、実在しないものを使って実在を考えることもできる数学は、まさに科学の言語なのだ。本書を読むと「世界は数学の言葉でできている」(ガリレオ)かも、と信じたくなってくる。 - ショーン・コネリー主演の映画DVDで観て!薔薇の名前東京創元社1990年
修道院で起きる謎の死。その謎を解くために活躍する主人公。筋はmysteryの王道なのだが、その仕掛けが秀逸。
記号論理学者エーコーが選んだ主人公ウィリアム(映画でのショーン・コネリーがカッコイイ!)は、「オッカムの剃刀(カミソリ)」(「説明に不要な存在者(概念)は切り捨てるべし」)で有名な論理学者オッカムの友人(ついでにロジャー・ベーコンの弟子)。そう、推理とは論理を正しく使う姿。仮説とその検証の積み重ねが真実へと至る道だ。オッカム的論理・実証と対照的なキリスト教2大会派の衝突。修道院の「自然に反する」歪な共同体。キリスト教思想史へのオマージュと強烈な皮肉。そしてそのオチときたら、アリストテリアン拍手喝采。形而上のmystery(神の啓示)を待ち望む人たちの、mystery(秘教)をめぐる、徹頭徹尾形而下の人間的出来事がそこにある。
読書が苦手ならまずはDVDで。これは原作でゆっくりたっぷり味わいたくなる仕掛けたっぷりのmystery(推理小説)だ。
ともかく、この小説の仕掛けはここに並べきれない。エーコーの仕掛けを楽しく読み解くのに、いずれゼミや企画授業で題材にして、歴史や宗教、文学や思想史などさまざまな専門家を呼んで教えを乞い、そこに散りばめられた「記号」を楽しみたい作品でもある。
*手元に実物がなかったので、DVDのパッケージの写真を掲載します - カササギ殺人事件(上下巻)東京創元社(創元推理文庫)2018年
「もはや探偵は現れない」とも言われる現代。トリックは出尽くし、密室は分類された。さらに科学技術の発展が犯人の奇想天外な魔法的仕掛けをバカバカしくしてしまう。そうした時代に対する現代文学の答えの一つがこれだ。死を宣告された探偵。なんと象徴的な設定だろう。クリスティへのオマージュがこれでもかと散りばめられ、最良のスピンオフでもある。文学技術の粋を結集させた、2019年数々の賞を受賞した作品。
- ドリトル先生 航海記 他(シリーズ)岩波書店(新版)2000年
中途半端な科学的知識が物語的想像力の面白さを損なう前に読んで欲しい。動物の権利などとほざく前に、「先生」がペットショップの前を通れない理由に微笑んで欲しい。エディ・マーフィー主演の映画なんか観る必要はない。素敵な挿絵と文章だけで思い浮かべるだけで十分だ。動物と話せたらどんなに素敵だろう。路地裏の猫だけでなく、ゴミを漁るカラスにさえ優しくなれるかもしれない。
- ゴルギアスからキケロへ (人でつむぐ思想史)ぷねうま舎2013年
いつかこんな文章を自分の専門分野で書いてみたい。そう思わせられた本の一つ。
今や多くの人が思想を信じていない。人々を混乱させる言葉、傷つける言葉、根無草な空疎な言葉、そんな言葉とも言えない言葉ばかりが溢れる現代。僕らは言葉とどうつきあってきたのか、思想が根差す場所はどこであるべきか、「言葉の技術」の始まりの歴史とともに考え直してみたい。そして同時に、深い専門性と、時間的にも空間的にも思想的にも幅広い教養とを一つにしていく、その技をも楽しみたい。 - 空の名前(改訂版)KADOKAWA1999年
僕らは自分を紹介するのに名前を名乗る。名前を知ることはその人を「知る」最初の一歩であると同時に全てでもある。名前を知るとその人の見え方が「ただの人」から中身のある独立した独特の特別な存在者になる。そんなことを空を眺めながら考えてしまう、そんな本。空の見え方が違ってくる。晴れ、曇り、雨と、3種類しか知らないなんてなんとも教養のない。そう、教養は世界の見方を変えるのだ。これはそんな本。
- Masterキートン小学館(ビックコミックス)全18巻1988~(完全版(全12巻)2011~)
学生の必読漫画にしたい。何より謎を解く旅に出たくなる。主人公キートンは、特殊部隊の元教官(マスター)であり、学位(マスター)を持つ考古学者であり、そして探偵である。行方不明者や犯人探し、歴史探訪、冒険、そして仮説の立証。多様なQuestが心優しい物語の中で重なっていく。学者は壮大な仮説の答えを求めて冒険し、一つ一つ謎を解いていく有能な探偵でなければならない。反面、文系の人間には復縁したい元奥さんが数学者という設定に苦笑い。副産物として大学の先生がちょっとエラそうに見えるのにはニンマリだ。