インストラクターブログ

野中至(到)没後70年

皆さん、こんにちは。学生スタッフのK.Yです。2月28日は野中至の命日で、今年は彼が亡くなってから70年になります。このことを記念して、認定NPO法人「富士山測候所を活用する会」のオフィシャルブログが更新されました。野中家のその後について投稿されており、これについて感想を述べていこうと思います。

私自身が、昨秋の企画展で野中至の調査を担当してため、野中至が富士山での越冬を試みたことや、和田雄治が野中至を救出した話は知っていました。しかし、救出された後の野中至の動向については、私が調査した文献である『富士登山日記』には記載がなく、自分自身気になる所でした。活用する会のブログによるとこのように書かれています。

「実はこの年に、到は富士山頂に再度登っています。さらに、翌年1897年,翌々年1898年にも登山していることが記されています。あの救出劇の翌年から3年連続して富士山に登山していることになります。 」

野中至は救出された後、三回も富士山に登っており、富士山に対するチャレンジ精神がうかがえました。和田雄治が救出した際の野中至の様子は『富士登山日記』に以下のように記されています。「南側の壁の傍にはランプが点いており、その傍の薄暗いところに野中氏が静かに座っていました。その容貌は昨夏に新橋駅で別れを告げた時と比べると、まるで別人のようで、顔面は蒼灰色を帯びて腫れており、髪は長く伸びて乱れていました。」野中至が1895年の富士山越冬時にかなりの窮地に陥ったにもかかわらず、恐れることなく、再び富士山越冬を試みる姿を知り、富士山に対する熱意を強く感じました。

太郎坊のそよ風 認定NPO法人 富士山測候所を活用する会 オフィシャルブログ
「2月28日 野中至(到)没後70年に際して:野中家のその後」

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