インストラクターブログ

和田雄治との半年

こんにちは。学生スタッフのA.S.です。企画展「『富士山観測』~日本気象学の礎を築いた中村精男と和田雄治~」で私が担当していた和田雄治先生の展示についてご報告があります。和田先生が物理学校雑誌に寄稿した論文計31編の要約が終わりました!なんとか宣言通りに開催期間中に全編要約ができて嬉しいです。ですがご報告が期間後となってしまったのはとても残念です。当然ですが、私一人では成し遂げられなく、優秀なスタッフメンバーが手分けして作業してくれたおかげです。本当にありがとうございました。

さて私は実に半年以上の間、和田先生の調査を続けてきました。私が抱いた印象と和田先生の持つ信念について、僭越ながらここにまとめたいと思います。まず和田先生は物理学校雑誌に31編を寄稿しており、それらを解読してきた私としては非常に多いと感じます。さらに驚くべきなのはその内容で、和田先生が専攻していた物理学関係から朝鮮観測にまつわるもの、さらには中村精男先生と共通した海事まで幅広い分野を題材としていました。そして和田先生は論文の多くで物理学者の社会的立場を気にするような文章を書いていることが印象的でした。実際に『電線架設法私見』では「余ノ希望シテ止マザル處ハ(中略)電気勢力ヲ社会ノ利用二供シ物理学者ノ賜ヲシテ徒ニ有害視セザランコト是ナリ」と結んでいます。18世紀にニュートンやライプニッツらによって、より論理的な物理学が確立されたことを踏まえると、和田先生らはまさに「物理学はどのようにして社会に役立つのか」と世間から問われざるを得ない時期であったと推察できます。そういった背景もあって物理学者の社会的立場を人一倍気にしていらっしゃったのでしょう。それと同時に物理学史を残さねばならないという信念も感じ取れました。これは朝鮮気象学史の研究とも共通する信念です。和田先生は例外はないと言っていいほど、ほぼ全ての論文において、これまでの先人の研究を振り返り、改善すべき余地を挙げ、それについて考察するといった流れを徹底していました。先人のおかげで現代の私たちは一層深い研究ができていることを和田先生は誰よりも理解していたのでしょう。

以上、半年を越える調査はもはや一人の人間との対話であり、和田先生と対話することができて大変有意義な時間でした。

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なるほど館を見守る和田雄治