インストラクターブログ

エミールレピシェ

こんにちは。H.M.です。私は企画展である「寺尾寿展」に向けて、寺尾と同じ天文学を志した「エミールレピシェ」について調べました。以下エミールレピシェついて説明したいと思います。

エミールレピシェは 1854年パリ天文台に計算手として就職、彗星・小惑星の軌道計算など、天文学の研究を行っていました。その後、1874年2月には「天文学教場」の教授として開成学校で学生に天文学も教え始めました。ところが、5月頃から急に原因不明の病気で休講し、6月には辞職してフランスに帰国したため、寺尾寿との直接的な接点はなかったようです。実際、寺尾寿は 1984年の9月に開成学校に入学しました。一方で、レピシエの建議に基づいて1878年に東京大学理科大学に観象台の建設が実現したこと、天文学科目の編成と講義内容など、日本の初期の天文学教育における近代化の点でレピシエの貢献は非常に大きいものでした。100年以上前のことなので、資料も少ないうえ不明瞭なことが多いです。しかし、分からないことがあるからこそ調べるやりがいや見つけたときの楽しさを実感できます。大学院生で改めて歴史を学ぶ楽しさを再認識できました。

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自分で作成した分光器