皆さまこんにちは。近代科学資料館スタッフのK.K.です。8月からこちらでアルバイトをさせてもらっています。もともと日本の近代科学史に興味があったので、こちらで働かせていただくことになりました。
日本の物理学の始まりを追っていったときに、欠かすことのできない人物がいます。それが、山川健次郎です。会津若松の地で育ち、白虎隊の一員として戊辰戦争を経験。その後、イェール大学へ留学し、帰国後は東京大学で物理学教授となり、やがて帝国大学の総長も務めました。また、東京理科大学の前身である東京物理学校の設立にも協力し、実験器具を貸し出すなど、学校の発展に大きく貢献した人物でもあります。
そんな山川健次郎の生涯を追って、この夏休み、私も会津若松を訪れてみました。今回の旅のメインは、山川が通っていた会津藩の藩校「日新館」です。会津藩では、当時としては非常に充実した教育が行われていたといわれています。日新館で学ぶ武士の子どもたちにとって、学問と武芸はどちらも重要なものでした。学問では朱子学などを学び、武芸では剣術や弓術などを身につけました。
一方で、算術は選択科目という位置づけだったため、これを軽視する学生も少なくなかったそうです。山川健次郎も、その一人でした。彼が本格的に数学に触れるのは、戊辰戦争後、16歳になってからのことです。なんと、このとき初めて九九を覚えたといいます。後に日本を代表する物理学者となる人物が、16歳から数学を学び始めた。そう考えると、少し意外ではないでしょうか。
学問を始めるのに、遅すぎるということはない。山川健次郎の生涯は、そんなことも教えてくれるように思います。