資料館学生スタッフのS.H.です。10月26日(土)「『富士山観測』~日本気象学の礎を築いた中村精男と和田雄治~」関連イベントとして大島商船高等専門学校 牛見真博教授をお招きし、「近代気象学の先駆者・中村精男:吉田松陰と松下村塾の影響を踏まえて」というタイトルで講演していただきました。
中村精男は10歳頃から松下村塾に通っていて、そこから、なぜ物理、気象学の道に進むことになったのかという内容の講演でした。松下村塾は吉田松陰によって設立され、伊藤博文や山縣有朋、高杉晋作などを輩出したことで知られています。そのような人々を輩出したことから、松下村塾は政治学や武道にばかり力を入れていたかのように思われるかもしれませんが、そうではないのです。吉田松陰は「造船、造艦の術を起して、航海遠略の基を立てねばならぬ」と語っていたり、数学は「人生の最大必要物」としていたり、海事志向、算術の重要性などが彼の思想の根底にあったようです。中村が松下村塾に通っていた頃には、すでに松陰は亡くなっていましたが、馬島甫仙という人物に師事し松陰の思想を受け継ぎ、理学の道へ進んだのではないか、と語られていました。
そして、私が感動したのは、東京物理学校創設への繋がりです。中村精男は本校、東京物理学校創設者の一人です。松下村塾の学びたい意欲のある人間には身分にかかわらず教えるという理念が、東京物理学校の理念へとつながり、夜間学校として設立された本校は今も第二部として夜間教育を行っています。その、松陰から馬島を通して、中村へと理念が伝わる様子に感動しました。
企画展では、馬島が上京する際、中村に宛てた文書も展示されています。ぜひ訪れてみてください。