資料館スタッフブログ

「近代科学における物理学と哲学の関係(中編)」

どうもみなさん、こんにちは。資料館スタッフのA.K.です。

さて、前回のブログでは明治時代の物理学者、桑木彧雄(くわきあやお)を紹介しました。今回は中編と題して、その続きとなる「明治日本の物理学界」についてお話しします。

桑木氏が煌めいたのは20世紀初頭、物理学激動の時代。すなわち相対性理論や、それに並ぶ一大分野である量子力学が登場した時代です。当時の日本物理学界はようやく実験物理学の基礎固めが落ち着き、理論的な考察の段階へ移行しようという頃合です。そんな時に古典理論(それまでスタンダードとされていた理論)を大きく変容させる二つの新理論が現れたわけです。日本の物理学界は、物理学そのものを捉え直す慌ただしい時代へと突入しました。

そんな明治期の物理学において有名なのは、長岡半太郎による「原子の土星モデル」(1903年)です。これは中学・高校の化学分野において、原子というものを初めて習う際に触れるかと思います。この「土星モデル」というのは、プラスの原子核の周りをマイナスの電子がぐるぐると回っているという極めてシンプルなモデル(仮説)です。ではこれの何がすごかったのかというと、「日本人が初めて世界標準の理論と対抗できるほどの有力な仮説を打ち出した」ということです。

このような科学史的な視点を持つと、理科の教科書のさりげない一文が、とても壮大なストーリーの一端であるように感じられるかと思います。

ちなみに、長岡半太郎は東京帝国大学(現・東京大学)の教授として多くの学生を指導しましたが、その中には桑木彧雄の姿もありました。

さて、また長くなってしまいましたね。このお話の続きは後編で。

東京物理学校雑誌の紹介
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