2015年に富士通の社長に就任した田中さん。
理科大の経営工学科では統計工学を学んだ。
「コンピュータを使った統計分析によって、工業製品の生産管理や品質管理を行う手法などを研究していました。たびたび研究室に泊まり込んで、徹夜で統計データをとっていたことを印象深く覚えています」
学生時代、勉強とともに情熱を傾けたのが映画だった。
「中学時代は陸上部でしたから、体育系のサークルも検討していました。そんな時、キャンパスで先輩に誘われて映画部に入部したんです」
活動の中心は映画鑑賞だった。まだレンタルビデオもない時代のこと、部員たちは、主に旧作映画を主体に上映する「名画座」に通い詰めた。
「池袋の『文芸坐』や『テアトルダイヤ』、高田馬場の『パール座』などに、よく通いました。土曜日の講義が終わると野田キャンパスから電車に乗って東京へ行き、オールナイトで映画を観る......体力に余裕があれば日曜の夜まで観続けることもたびたびでした」

映画部では、年に1度、映画撮影も行っていた。
「私も4年生のとき、監督として8ミリフィルムの作品を撮影しました。学内の劇団に出演を依頼して教室で撮影したんですが、彼らに弁当を出したり、夜は一緒に飲みに行ったりしていると、とてつもなく金がかかるんです。1時間弱の作品でしたが、300万円近くかかったんじゃないかな(笑)」
完成した作品『イミテーション・サマー』は、3人の男子学生と1人の女子学生の微妙な関係を描いたストーリー。理大祭で上映され、好評を博したという。
「映画を製作することはこんなに楽しいのか、と実感した経験でした。あのフィルム、いまも部室のどこかにあるのかな?もし保存されていれば、ぜひもう一度、見たいですね」
インタビューの最後に、田中さんは、自らの体験も踏まえ、後輩たちへのメッセージを語ってくれた。
「理科大の学生は真面目ですから、石橋を叩いて渡るような慎重な人が多いような気がします。でも、今は世の中の仕組みや価値観がものすごいスピードで変化している時代です。若い人たちには、この状況をチャンスと捉えてほしい。グローバルな世界へ飛び出していくことも、ベンチャーとして起業することも、昔に比べて容易になってきています。過去の自分や、旧来の固定観念に縛られることなく、大胆に、軽やかに自分の将来を切り拓いていってほしいですね」