※内容は「東京理科大学報」 vol.186 掲載時のものです。

物理学で学んだ“単純化”が
私の人生と音楽活動を支えてくれています

本学応援歌、「打ち水音頭」を作曲した音楽プロデューサー
音楽プロデューサー
1959年理学部第一部物理学科卒業

清水 泰郎さん

音楽プロデューサー
1959年理学部第一部物理学科卒業
1935年東京都生まれ。59年東京理科大学理学部第一部物理学科卒。卒業後、工事会社の騒音調査部門で騒音公害問題と取り組む。その後、中学・高校教諭を経て99年、音楽プロデューサーに。地元・武蔵野市を中心に音楽の楽しさを伝え続けている。

♪水まこう 水まこう みんなで水まこう
百万の人が気持ちをそろえ みんなで水まけば
地表の温度は2度下がる――。

 夏の盛り、日本各地で同時に水をまき、気化熱の冷却効果で涼を感じようという運動「打ち水大作戦」が、毎年、各地の会場でにぎわいを見せている。その会場に流れる「打ち水音頭」を作詞・作曲したのが清水泰郎さん。音楽について語る時の、満面の笑みが印象的だ。
 東京・武蔵野市で3人兄弟の末っ子として生まれた。小学校時代は、蓄音機から流れるクラシックを聴くのが何よりの楽しみだったという。
「このころに観たミュージカル映画の指揮者に憧れ、中学の学芸会では合唱の指揮者に立候補したんです。高校の音楽部でもタクトを振りました。でも不思議と、音楽を職業にしたいとは思わなかった。“音楽はあくまで趣味”と割り切っていました」
 高校卒業後は、東京理科大学理学部第一部物理学科に入学。実は、東京理科大学応援歌の作曲者でもある。「3年生の時、体育会が応援歌のメロディーを募集していたんです。作曲は大好きだったので軽い気持ちで応募すると、当選してしまった。卒業して何十年も経ったころ、ある卒業生から“僕らも歌っていましたよ”と聞いて驚きました。楽譜は残っていなかったので、先輩から後輩へと口づてに歌い継いでくれたんでしょう。感無量でしたね」

打ち水大作戦での打ち水の様子

 卒業後は、工事会社の騒音調査部門の担当を経て、中学・高校の理科教諭に転身。吹奏楽部を創設し、視聴覚担当教諭として音楽や演劇の鑑賞会を企画した。この経験が、やがて音楽プロデューサーとして活動を始めるきっかけとなる。
「当時、学校を対象としたオーケストラの演奏内容には不満がありました。こんな演奏では子どもたちのみずみずしい感性は育たない。そんな思いから、旧知の音楽家たちと活動を始めたんです」  教師生活の傍ら、休日を利用して地元・武蔵野でアマチュアの合唱団を指揮し、知人の日本フィルハーモニー交響楽団メンバー5人に頼んで低価格のコンサートも企画するようになった。40歳の時、「音楽だけの毎日を続けたい」とプロデューサーの道へ。以来、現在に至るまで清水さんの半生を貫いているのは“自分で演奏はできないけれど、多くの人に良質な音楽を生で聞いてほしい”という強い思いだ。音楽一筋の人生……しかし、理科大在学中に学んだことは、間違いなくその後の自分を支えている、と清水さんは言う。
「物理学では、複雑な現象をある単純なものに置き換えて理論を構築する“モデル化”が頻繁に行われます。この“複雑な事柄を高度に単純化する”という思考習慣は、生きる上でも、また音楽活動の上でも大いに役立っていると感じますね」
 また今年も、暑い夏がやってくる。「打ち水大作戦」のイベント会場で、にぎやかな「打ち水音頭」が聞こえてきたら、この先輩の満面の笑みを思い出してほしい。