清涼菓子「ミンティア」などで知られる
アサヒフードアンドヘルスケア株式会社。
その代表取締役社長を務めるのが本学OBの唐澤範行さんだ。
学生時代は工学部機械工学科で流体力学を研究する傍ら、天文研究部(以下、天文研)に所属し、観測に熱中していたと語る。
「当時は野田キャンパスに観測所があって、神楽坂での授業が終わると、白衣を着たまま電車に乗って野田へ行き、夜通し観測して神楽坂に戻ってくるという毎日でした。野田キャンパスも1号館から3号館ぐらいしか建物がなかったころですから、天体観測には適した環境でしたね」
天文研の活動の中でも特に思い出深いのが、1973年の日食観測ツアーだという。
「私が4年生の時に、アフリカのケニアで皆既日食があったんです。注目度が高く、日本のマスコミも“20世紀最大の黒い太陽”として大きく報道するほどでした。理科大からは30人がケニアに3週間ほど遠征しました」
卒業後は、アサヒビール株式会社に入社。一貫して生産技術関連の仕事に携わってきた。実は、入社にあたってのいきさつには、天文研の活動も少なからず関係しているとか。
「就職先の候補としてプラントメーカーなど数社を考えていて、アサヒビールもそのうちの1社でした。当時は就職活動の解禁日が7月1日だったのですが、実はケニアでの日食観測ツアーに参加したために、7月初めに試験が行われる会社は受験できなかったんです(笑)」

当時アサヒビールは業界シェア3位と低迷していたが、87年には、日本初の辛口生ビール「アサヒスーパードライ」を発売。ビール業界に革命を起こすヒット商品となる。
「86年のCI(コーポレート・アイデンティティ)導入を契機に、アサヒではビールの味を一新。大規模な増産体制をとることとなりました。私は福島工場の増設を担当するメンバーで、最初のミッションは『年間3万6000キロリットルの生産量を7万2000キロリットルにする』というものでした。ところが、新プラント落成祝いの日に18万キロリットルへの増産を命じられ……文字通り“倍々ゲーム”で生産量が増えていった時期ですね。ひたすら仕事をする日々でした。時には仕事が終わった後にナイタースキーを楽しむこともありましたが、ゆっくり星を眺める暇はありませんでしたね」
現在は経営者として学生を受け入れる立場の唐澤さん。理科大の学生たちにメッセージをお願いすると、こんな答えが返ってきた。
「自分の専門分野以外に、寝食を忘れて没頭できるものを持ってほしい。知識や興味には“広さ”と“深さ”の両方が必要です。理科系の学生は、専門分野の知識を深めることは得意ですが、広げることは不得手な人が多いと感じます。部活動やサークル活動でタテの人間関係を築くことで、知識や興味を広げてほしいと思いますね」