私の授業改善

2019.10.24

郡司天博(理工学部 工業化学科 教授)

 ファカルティディベロップメントが提唱されてから久しいですが、いまだに全貌が見えません。講義の改善は教員にとっては当たり前のことでしょうから、各々の教員には個人に応じた最良の方法があるものと思います。学生のために良かれと思って導入したシステムでも、その運用や結果の評価が難しく、実効性が疑われるものもあるようです。

 小生は本学に奉職してから、学生実験に始まり演習や講義を担当してきました。毎回の講義を終えると短いながらも自然と自己反省の時間がやってきます。講義中に説明したことの補足や間違いなど、不適切で改善を要する事柄に気づくことも多々ありますので、小生にとっては自然に身についた良い習慣であると思っています。

 小生が担当する講義では、講義内容をまとめた電子ファイルをLETUSで公開しています。LETUSにpdfファイルとしてアップロードしたものを学生が随時ダウンロードできるようにしてあります。LETUSにある参加者の履歴を確認してみると、ほとんどの受講生が利用しているようです。講義はファイルの内容を元にして新しい事項を加えながら進めています。

 授業改善アンケートには苦笑いもしました。「月曜日朝イチの授業で9時に遅刻にするのはいかがなものか」との意見がありました(野田キャンパスでは9時に授業開始です)。アンケートに書かれたコメントが業者によりきれいにタイプされて文章化すると、とても目を惹きます。9時開始の講義で9時以降を遅刻とするのは当然のこととは思いますが、改めて「とんでもないことをしている教員」との誹りを受けそうな気配です。当たり前のことを当たり前と判断できる知恵が働いていると信じたいところです。

 小生の学生時代から振り返ると、学会発表もスライドからOHP、そしてパワーポイントと「進化」してきました。講義で使用する機器もこれと軌を一にします。目新しい機器を講義で使用してみるものの、たとえば、パワーポイントによる講義は学生に不評です。投影する内容をプリントで配布しても、学生が理解する速度と乖離しているように感じられ、また、学生の集中力も低下しているようで、電気紙芝居と化しているような気もします。

 数年前に退職なさった教授の先生の言葉が頭から離れません。「何百年も大学では板書でやってきたんだから、これが最善の方法なんだ」とのことですが、小生も講義を重ねるにしたがってこの言葉の重みを感じています。時代が変わろうとも、プレゼンテーション機器が「進化」しようとも、人間が理解するには相応の時間と集中力が必要なようで、板書と書写が最も合うのだと思います。

 反転授業といわれる、対話を中心とした講義形式が推奨されていますが、講義内容と程度により実効性が問われるように感じます。大学の専門分野で基礎知識を教授するには、あまりにも時間が不足しています。数百年に及ぶ人類の英知を数時間に圧縮して伝授するには、あまりにも時間が足りません。また、受講者が自学するには、猶更大変なことでしょう。

 日々の講義を重ねて細々ながらもFDを続けているつもりですが、胸を張って自慢できるような目新しいことは何もありません。しかし、あちこちと新しいものに飛びついては諦めることを続けるうちに、昔ながらの教授法が最善との結論にたどり着いたように思います。このことに気づいたのが小生にとってはFDの最高の結論かもしれません。