※内容は「東京理科大学報」 vol.195 掲載時のものです。

答えが見えていなくても、決して匙を投げない。
必死に取り組んでいれば、何かが見えてくる。

シェア80%超のアルギン酸メーカーを牽引
株式会社キミカ 代表取締役社長
1979年工学部第一部工業化学科卒業

笠原 文善さん

株式会社キミカ 代表取締役社長
1979年工学部第一部工業化学科卒業
1956年千葉県生まれ。79年東京理科大工学部第一部工業化学科卒業。早稲田大学大学院を修了後、持田製薬株式会社に入社し、研究開発の技術者として勤務。84年、株式会社キミカに入社し、技術課長、管理部長、常務、専務を歴任。01年から現職に就く。

もともと製薬会社に就職し、研究開発の業務に携わっていた笠原文善さんが現在の会社に入社したのは、
創業社長であった父親の死去がきっかけだった。

笠原さんが理科大を志望したのも、この父親の進言によるものだ。
「高校時代は、理科や数学は大の苦手。大学も、当然文系に進もうと考えていました。しかし父が、文系の知識とは異なり、理系の知識は大学で学ばなければ、絶対に身に付かない。だから、せっかく大学に進むならぜひ理系を学ぶべきだと、かなり強く進言してくれたんです。父がそこまで言うならと、理科大の受験を決心したんです」
 笠原さんの大学生活は、波瀾万丈だった。ウェイトリフティング部に入るも、腰を痛め選手活動を断念。その後は体育局局長として学内で活躍し、4年時には外部卒業研究生として東京大学の研究室へ。そして、そこから早稲田大学大学院へと進んだ。
「3つの学校で学びましたが、どの学校の学生も、持っているポテンシャルは変わらないです。ただ、理科大の学生は、将来に対する視野をもっと広げるべきだということは、当時から感じていました。理科大生は、研究者や技術者、教育者を目指す人が多い。でも、せっかく社会に羽ばたくのだから、いろんな世界に向けて、自分の可能性を幅広く持っていてほしい。後輩の皆さんに期待しています」

卒業研究(外部卒研生として東大工学部で)

 不得意だった理系に進んだがゆえの経験が、今の糧になっていると、笠原さんは実感している。
「そもそも物理や化学が不得手だから、レポートを書き、単位を取るためには、人より必死に勉強するしかなかったんです。でも、そこでもがき苦しんだ経験が、今の仕事で自分なりの問題解決をする時に生きています。答えが見えていなくても決して匙を投げない。必死に取り組んでいれば、いつか何かが見えてくる。その感覚が、大学時代に身に付いたんでしょうね」
 笠原さんが社長を務める株式会社キミカは、食品、繊維、農業、化粧品など、幅広い分野で活用される食物繊維・アルギン酸の専業メーカーだ。現在、国内業界シェア80%以上を誇るが、笠原さんはその視線の先に新たな夢を抱いている。
「そうした医薬分野へのアルギン酸の活用をもっともっと増やしていきたいです。実際、来年から私の古巣である持田製薬さんと、軟骨の再生を促進するためにアルギン酸を活用する臨床試験が始まる予定なんです。少しでも人の役に立てるよう、アルギン酸の可能性を広げるのが、私の役目だと思っています」