現代の「境界」と「包摂」を学際的に再考する
現代社会の大きな特徴のひとつは、これまで社会に存在していた(あるいは、多くの人がその存在を当然のものとして信じていた)「境界」の曖昧化と再編である。例えば、AI の急速な進化は、技術と人間の知能との区別を曖昧にし、AIが人間を凌駕する未来を迎えつつあると言われている。また、高度に複雑化・多様化した社会における課題は、単独の学問分野では解決が困難であり、人文・社会科学と自然科学 にまたがる学術的研究の重要性が高まっている。さらに、物理的・制度的・文化的・意識的バリアの解消を進める(シームレスにする)ことを通して、マジョリティとマイノリティの関係が問い直されるようになってきた。
これらの変化は、「境界」を曖昧にするにとどまらず、より大きなカテゴリーへの「包摂」 を含めた動きを顕著にしてきたと言うこともできるだろう。 一方で、より大きなカテゴリーへの「包摂」は、各々が持つさまざまな差異や特徴を十分に考慮せずに なされた場合、それらを抑圧したり、依然として存在する「境界」を見落としたり、より優位なものへの 「同化」を強いたりする可能性があることが浮き彫りになっている。こうした状況のなか、「包摂」それ自体への反発や「包摂」からの積極的な「逸脱」も生まれている。
このように、「包摂」という望ましいはずの変化によって、本来意図されなかった問題が引き起こされている。こうした時代において必要なのは、現代社会におけるさまざまな「境界」を、その変容可能性や流動性に着目しながら領域横断的に分析し、新たな「包摂」の可能性を検討することである。教養教育研究院に所属する私たちは、学際的な知を持ち寄り、それらを相互参照しながら、社会の不確実性が高まる時代に何らかの見通しを与えることを、研究者としての社会的責任であると考えている。
最後に、「不確実性」といえば、冒頭で「複雑化・多様化した社会」の存在を前提としたが、そもそもそのこと自体を私たちは疑うところから始めてみるべきなのかもしれない。この社会は本当に複雑化してきたのか、多様化してきたのか、そこに何らかの「変化」があったことは確かなのだとしても、その内実は通常形容されるような「変化」なのか、学際的な知見から根本的に考え直してみたい。
