2020.01.09 Thursday

真菌と植物の攻防にみる細胞分化のメカニズム
~様々な機能・役割を持つ細胞の分化が超微量の酢酸で誘導される~

研究の要旨とポイント

  • イネ科植物にいもち病を引き起こす真菌、イネいもち病菌について、感染時に形成される付着器の細胞分化が、極めて低濃度の酢酸により誘導されることがわかりました。
  • イネいもち病菌は、稲作に多大な被害を及ぼす病原菌であり、防除などについて長年研究がおこなわれていますが、感染に重要な役割を果たす付着器が、単一の胞子からどのように分化するのかはこれまで詳細にはわかっていませんでした。
  • イネいもち病の感染時に起こる細胞分化が、酢酸のような単純な化合物に、しかも極めて低濃度で誘導されるという発見は、多細胞生物における細胞分化のメカニズムの解明だけでなく、ごく微量の化学物質が細胞に与える影響や、異種の生物の細胞同士のケミカルインタラクションを理解する上でも重要だと考えられています。

イネいもち病菌Magnaporthe oryzae (Pyricularia oryzae)は、米の生産に多大な被害をもたらす病害、いもち病の原因となる真菌(糸状菌類)です。東京理科大学理工学部応用生物学科の鎌倉高志教授らの研究グループは、イネいもち病菌がイネに感染する際につくる特徴的な構造「付着器」に着目し、超微量の酢酸が付着器の細胞分化を誘導することを明らかにしました。

イネいもち病菌の胞子は、イネ科植物の植物体表面に付着すると発芽し、発芽管とよばれる菌糸の先端に付着器という丸い構造体をつくります。付着器は、イネいもち病菌の菌糸がイネの体内に侵入するための器官で、イネの細胞壁に突き刺さる突起を出し、菌糸をイネの細胞に向けて押し込む役割を担います。
この付着器を電子顕微鏡で観察すると、たった1つの細胞だけでできていることが分かります。発芽した胞子からどのようなメカニズムで、複雑な機能を持った細胞が分化してくるのか、その詳細はこれまでよくわかっていませんでした。

単一の細胞から、様々な機能や役割を持った細胞へと分かれる細胞分化は、真菌のみならずあらゆる多細胞生物において根源的な現象です。酢酸というごくありふれた脂肪酸により、しかもごく低濃度の使用で細胞の分化を誘導できたことはこれまでに例がありません。

酢酸による細胞分化がヒトを含めた他の生物にも共通して起きるかどうかは未解明ですが、将来的には農学だけでなく、医学なども含めた細胞生物学全体に波及、発展することも期待されています。

【研究の背景】

細胞分化は、われわれヒトを含めた動物の細胞が、一つの受精卵から様々な機能と役割を持つ細胞に分かれることからも分かるように、多細胞生物にとって重要で、かつ普遍的な現象です。

イネいもち病菌は、カビなどと同じ仲間である真菌類(糸状菌類)で、稲作に甚大な被害をもたらす病原菌として知られています。
イネ科の植物の生体に付着した分生子(性別を持たない胞子)は発芽して、その発芽管の先端に、細胞分化によって付着器をつくります。この付着器は、植物の細胞内に侵入するための突起を出して、そこから菌糸を細胞内へと押し出します。
付着器の形成から、細胞内への菌糸の侵入までの過程で、分生子や発芽管は自分自身の細胞の外にある環境について、様々な生理学的情報、化学的情報を受け取っています。植物表面の硬さや疎水性はどうか、植物由来の化学物質にはどんなものがあるのかというようなことです。しかし、イネ科の植物以外の、たとえばガラス面などに付着した場合でも、分生子は発芽して付着器を形成することが知られており、特定の環境因子だけが必ずしも、付着器の形成に影響を与えるわけではないのではないかという疑問が提示されていました。

鎌倉教授らの研究グループではこれまでに、イネいもち病菌が産生するキチン脱アセチル化酵素Cbp1の活性が、イネへの感染の際に特異的にみられる細胞分化による付着器の形成において、何らかの重要な役割を担っていることを発見していました。
キチンは、真菌類の細胞壁の主要な構成成分です。イネいもち病菌がイネに付着すると、細胞壁に含まれるキチンがイネの酵素により分解されてオリゴ糖が生成されます。このオリゴ糖がイネの免疫系による抵抗反応を誘導します。
しかし、Cbp1の働きにより真菌が自分自身で細胞壁を変化させた場合、キチンはキトサンと酢酸になり、オリゴ糖は生成されません。このことから、Cbp1はイネいもち病菌が植物の免疫による抵抗反応から逃れるステルス化の機能を担っていると推測されていました。
研究グループはこれらを踏まえ、Cbp1がキチンを分解する際に発生する酢酸が、細胞分化に影響を与えるのではないかという仮説を立てました。高濃度の酢酸は抗菌活性を示すため、細胞にとって毒性のない極低濃度で、仮説の検証を試みました。

【研究の詳細】

キチンの分解によって遊離される酢酸が、細胞分化に及ぼす影響を検討しました。
まず初めに、細胞内のpH変化を観察すると、通常付着器形成時に発芽菅の先端で強い酸性化が起こるのに対し、遺伝子操作によりCbp1を生成できないように改変した変異株ではこの酸性化が起こらないことがわかりました。Cbp1は、発芽管の先端、特に細胞の表面に多く含まれます。Cbp1によって発芽管先端の細胞のキチンが分解され、遊離された酢酸が酸性化を引き起こし、付着器の形成を誘導することが示唆されます。

真菌と植物の攻防にみる細胞分化のメカニズム ~様々な機能・役割を持つ細胞の分化が超微量の酢酸で誘導される~

図:キチンのアセチル化によって遊離された酢酸が、細胞分化を誘導する

次に、酢酸による酸性化だけではなく酢酸分子そのものが細胞分化を促していることを確かめるため、Cbp1を失った変異株に対して、酢酸を与えて付着器が形成されるかどうかを調べました。この時、1µM(マイクロモル、1モルの100万分の1)から1fM(フェムトモル、同1000兆分の1)まで酢酸濃度を変えて、濃度の違いが細胞分化に及ぼす影響を調べました。
その結果、酢酸を与えることで効率的に細胞分化が誘導されることが分かりました。驚くべきことに、高濃度の酢酸が分生子の発芽や付着器の形成を阻害するのに対し、1fMという超低濃度の酢酸でも付着器の形成が誘導されることが確認できました。研究グループは酢酸以外の複数の酸についても調査を行い、酢酸以外にもプロピオン酸やソルビン酸でも細胞分化が誘導されること、これらの酸も酢酸と同様に超低濃度(fM)で作用するということを明らかにしています。

研究グループはさらに、細胞のエネルギー産生を担う代謝経路についても調べました。植物や真菌を含めて、好気的な代謝を行う生物の体内では、アセチルコエンザイムA(アセチルCoA)という化合物が、複数の代謝経路や細胞内小器官の活動に利用されています。アセチルCoAは細胞内の遊離脂肪酸から生成され、TCA回路という代謝経路で様々な化学反応を経てエネルギーを産生し、最後に水と二酸化炭素に分解されます。
植物や真菌では、このTCA回路に加えて、グリオキシル酸回路というもう一つの代謝経路を持ちます。グリオキシル酸回路は、TCA回路から幾つかの化学反応を飛ばしたショートカットのような回路で、二酸化炭素を放出することなくエネルギーを取り出せることが特徴で、病原菌のような栄養条件が乏しい環境に対応する際に使用されることが分かっています。
このグリオキシル回路には、TCA回路にはない、イソクエン酸リアーゼ(Icl1、Icl2)という酵素が使われています。Icl1は、イネいもち病菌が植物に感染する際に、分生子内で増加する酵素であり、遺伝子操作によりIcl1を作れなくした場合、分生子の発芽や付着器の形成が遅れることが知られています。
そこで、Icl1、Icl2のそれぞれをコードする遺伝子を破壊した変異株と、Icl1またはIcl2のいずれかに加えて、Cbp1をコードする遺伝子も破壊した変異株の計4種類を作成し、超低濃度の酢酸を与えた際に付着器が形成されるかを観察しました。その結果、極低濃度の酢酸がグリオキシル回路を回転させ、それによって細胞分化が誘導されることがわかりました。これらの結果は、細胞壁を変化させることで、自身の細胞壁から栄養源を作っているという新しいメカニズムの存在を示唆しています。

今回の研究は、単純な化合物である酢酸が、極めて低濃度で真核生物の細胞内代謝経路の切り替えに関与し、細胞分化を誘導するという、これまでに例のない報告です。極微量の化合物に対する生化学的な応答反応は、これまで動物のホルモンでのみ報告がありましたが、ホルモンは酢酸と比べるとずっと複雑な分子です。
今回の報告について、鎌倉教授は「この生命現象がヒトを含む他の生物に共通しているかどうかは現時点ではわかりませんが、近年では、ヒトの腸内細菌が作り出す酢酸のような脂肪酸ががんの発生や免疫細胞の活性化に関与していることことが報告されています。また複数生物種間でのケミカルインタラクション(化学物質のやりとり)がクローズアップされて来ていますので、今回の研究成果は将来的に医学や農学を含む細胞生物学全体に波及、発展してゆく可能性があります」と期待を語っています。

なお、本研究は日本学術振興会科学研究費補助金 基盤研究(B)19H02958の助成を受けて実施したものです。

【論文情報】

雑誌名 iScience 2020年1月7日 オンライン掲載
論文タイトル Extremely low concentrations of acetic acid stimulate cell differentiation in the rice blast fungus
著者 Misa Kuroki, Yuriko Shiga, Megumi Narukawa-Nara, Takayuki Arazoe, Takashi Kamakura
DOI https://www.doi.org/10.1016/j.isci.2019.100786

鎌倉教授のページ:
https://www.tus.ac.jp/fac_grad/p/index.php?3f7e

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