東京理科大学維持会に係る歴史
東大出身の若き理学士19名ほか2名が標す夢の第一歩…1881年
明治14年、東京大学(旧帝国大学)理学部物理学科の卒業生19名ほか2名により東京理科大学の前身「東京物理学講習所」が創立されました。授業は夜のみ、教室は小学校の間借り、機材は母校東大からその都度借り出しては返却するという艱難辛苦の毎日ながら、平均年齢25歳の若き理学士たちは「理学の普及が国運発展の基」という理念を掲げ、仕事の傍ら無給で生徒の指導にあたりました。
一人30円の寄付で学校を守った「維持同盟」…1883年
明治16年に「東京物理学校」と改称。創立者の一人、寺尾寿が初代校長に就任して学校としての形態は整ったものの、財政的に窮地に陥った同校を救ったのは明治18年、21名の創立者のうち16名が結んだ「維持同盟」でした。ここでは、一人30円の寄付と週2回の無償講義、さらに教師が都合で講義に出られない時は理由を問わず25銭を払うという決まりも作られました。
卒業生(「東京物理学校同窓会」現「理窓会」)の寄付協力を得て牛込神楽坂に近代校舎新築…1906年

明治39年、卒業生(「東京物理学校同窓会」現「理窓会」)の資金協力を得て牛込神楽坂に校舎を新築し、神楽坂における教育が始まりました。新校舎は木造2階建226坪(747m2)の白亜の瀟洒な建物で、北原白秋が「物理学校裏」と題する詩を著し、夏目漱石が主人公を物理学校に入学させる「坊ちゃん」を発表したのもこの時代です。
科学フォーラム連載「物理学校を創設した建学の志士たち」
創設者の先生方が「理学普及」の志の為、数々の困難を乗り越えながら学校を創設し運営してゆく様子を、さまざまな資料から研究し詳細に辿った、維持会会長 森野 義男氏による連載記事です。
(理大 科学フォーラム 2013年2月号~12月号に隔月掲載)
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