リレーエッセイ

第1回 境界、協働、守備範囲

神野潔 (日本中世法史、日本近現代法学史・法曹史)

人々がこれまで意図的に、あるいは無自覚に引いてきた「境界」について考え直す、という営みが活発になっています。私の専門に近いところでは、『法律時報』98巻1号(2026年1月号)において、「境界の再考/更新」という優れた特集が組まれました。
とはいえ、法学において、これまで「境界」を意識した議論がなかったわけではないでしょう。むしろ、近代法の歴史は「境界」の歴史だと言っても良いかもしれません。公法と私法とを区別したり、所有権の及ぶ範囲を明確にしたり…これらは、近代法の根幹に関わる「境界」の議論だったと思います。最近私が読み直している中田薫(1877-1967、日本の法制史学の創始者と評価される)の著作の中でも、明治期に進められた近代法的な「線引き」について語られています。

ただ、これらの「境界」は、線を明確に引いて「こちら側」から「あちら側」を排除する(それによって「こちら側」に安定をもたらす)ということを目指していたように思えます。そして、その点において、最近の「境界」をめぐる議論とは異なっています。近年の議論は、「境界」をもっと揺らぎのある曖昧なもの、あるいは多層的なものと捉え直すところから出発し、これまでの硬直的な「線引き」では対応できない新しい概念(AIの主体性、身体と科学技術との融合…)とどう向き合うか、あるいは「境界」を設ける方法そのものの正当性を問う、というようなことも考察の対象としています。

東京理科大学教養教育研究院が2025年度から始動させた教養研究プロジェクトでも、「流動化する『境界』と新たな『包摂』」と題して、この「境界」の問題と向き合うことにしました。
このプロジェクトでは、「境界」について考える上で、「包摂」という概念を盛り込み、専門分野が大きく異なる13名の研究者が集結し、それぞれの知見を相互参照しながら、社会に新たな価値を創造することを目指しています。様々な分野の知見を混ぜ合わせることで、各分野の既存の枠組みでは見落としていた(枠外に置いてきた)ことに目を向けることも可能になるはずです。
このプロジェクトはまだ始まったばかりですが、私自身が法学分野の中であれこれと葛藤していた「境界」をめぐる問題は、化学者にとっての「境界」、言語学者が指摘する「境界」、哲学者が語る「境界」…様々な分野の視点を踏まえて考えていくことで、きっと新しい方法や価値を得られるものと思います(とても楽しみです!)。このプロジェクト自体が、既存の学問の「境界」を捉え直し、再定義する試みでもあります。

ところで、このプロジェクトがスタートして半年、私たちが痛感したのは、こうした領域横断的な「協働」を進めていくことが、決して容易な道ではないということでした。私たちがまずよく理解できたのは、それぞれ多忙を極める(異なる分野の、異なるキャンパスで働いている)研究者たちが一堂に会すること自体が、(物理的に)かなり難しいという現実でした。そもそも、仕事と仕事でないことの「境界」が曖昧な生活を送っている私たち研究者は、ともすれば自分を際限なく忙しくしてしまいがちです。その中で、13名の研究者が定期的に研究会を開き、お互いを理解し対話し合うための時間を設けていくことは、なかなか難しいことでした。
しかし、このような研究会を開くことの難しさという現実的な壁も、実は本プロジェクトの核心に触れていることだと私は思っています。多忙な13名が、いかにして互いの「時間」や「専門性」という「境界」を越えて一つの場を共有し得るか。その試行錯誤のプロセスも、現代社会における「新たな包摂」のあり方を模索する「実験」だと思っています。

物理的な面ではなくて、もう少し学問的な観点から言えば、それぞれの研究分野によってそもそも「共同研究」というものに対するイメージが異なる、という高い壁もありました。例えば、いわゆる「理系」分野でよく見られる「共同研究」は、特定の問いに対し共同で一つの論文を書き上げるスタイルですが、個別論文が主流の「文系」分野にこの方法をそのまま持ち込むことは容易ではありません。一方で、「文系」的な個別の研究を「統合」して一冊の本にまとめるような「共同研究」の形は、一部の「理系」の研究者にとっては、なかなか「共同研究」だとは捉えにくいところがあります。このような壁を乗り越えて、異なるアプローチをいかに接合して機能させるか、ということが今後の鍵となるはずです。

本プロジェクトのメンバーは全員、「理工系総合大学」である東京理科大学の、教養部門に所属する教員です。法学部や文学部といった学部に所属する法学研究者、文学研究者などと比べると、教育面でも、学内の研究交流の面でも(つまりはこのプロジェクトに加わるような場合でも)、一人ひとりが広い「守備範囲」を求められる環境にあります。
ここで言う「守備範囲」には、私は二つの意味を込めていて、一つ目は一人の選手がショートもサードも守れる(つまり立浪選手みたいな!)多才さを目指す必要があるということ。立浪選手のように上手にできなくとも、複数のポジションを守ろうとする意志を持つことが大事です。二つ目は、ショートを守っている自分がセカンドやサード、センターなどの動きを理解し、それらのポジションの選手たちと連動して動かなければならないということです(つまり立浪選手みたいな!私は愛知県出身で、小さい頃から熱狂的なドラゴンズファンなのです)。
私たちが、広い「守備範囲」を求められるチームにいること、そしてそれを生かすことが、このプロジェクトを進めていく上でとても大切なことだと考えています。

上でも書きましたが、私たちの試行錯誤そのものを一つの「実験」だと捉えて、これからこのプロジェクトを続けていきたいと思います。領域の重なり合いを確認しながら、社会の不確実性が高まる時代に何らかの見通しを与えること。それが、学際的な知を持ち寄る私たち教養教育研究院の研究者としての、社会的責任であると確信しています。