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TUSJournal2013(H25).10.17vol.19102広がる好奇心が、研究を進める原動力に「わたしの研究分野は、自然界に存在する左右の非対称性についてです。例えば人間は一見左右対称に見えるけれど、心臓は左寄りにある。受精卵から成長していく段階のどこかで、左右非対称を生み出すスイッチが入っているのです」2009年、黒田教授は、英科学誌『ネイチャー』電子版に「細胞分裂を始めた巻貝の受精卵を操作して、自然状態での巻き方とは逆向きの貝を作らせることに成功」と発表。教科書にも記載されている発生生物学の定説を覆す大発見だった。「巻貝の研究を始めるきっかけとなったのは、1982年の『ネイチャー』に載った紹介記事。そこには巻貝が右巻きになるか左巻きになるかは、“1個の遺伝子が決めるという1920年代の報告がある”と書いてあって、遺伝子1個だけで生物の左右が決まるなんて!と惚れ込んでしまったんです」左右が決まるきっかけを探るため、黒田教授は実験対象として左右の巻きが存在する「ヨーロッパモノアラガイ」という巻貝を選んだ。観察を続けると、受精卵が4個の細胞から8個の細胞に分かれる“第3卵割”の段階でねじれが生じ、右回りにねじれているものは右巻きの貝に、左回りのものは左巻きの貝になることに気付いた。「すでにマウスを使った研究で、左を決める遺伝子は見付かっていたんです。でも、遺伝子が働くのは受精の1週間後。それ以前に働いた不明の遺伝子の結果です。それに対して巻貝の受精卵のねじれは受精後数時間、自分の遺伝子が働く前に起きる。そこで、『遺伝子が働くときに、受精卵を逆にねじってみたら?』と思いついたの。周囲からは『できるわけない』と反対されましたけど」受精卵を細いガラス棒で人為的に逆転するのは至難の業だったが、試行錯誤を続けた結果、狙いどおりの成果が得られた。ねじった方向に従って、殻の巻き型だけでなく内臓の配置や形まで、すべて本来とは逆になった。受精卵の形の違いによって、体の左右非対称を決める遺伝子の働きが変わるのだ。「巻貝の“左右”は、受精卵が細胞分裂を始めて数時間以内、8個の細胞に分かれた時に決まる」。これがネイチャー論文の結論だ。「この実験では、右巻きの親から生まれた子の受精卵を操作して左巻きの貝をつくっても、その貝の子どもは遺伝子どおりの右巻きに戻る……つまり、遺伝子を操作することなく物理的な操作によって遺伝子の働きを上書きした点が画期的です。体の左右の形成には脊椎動物とも共通する遺伝子が関わっていますから、今後、脊椎動物を含むさまざまな生物の左右決定にも重要な知見を与える可能性があるんです」今後は、このねじれが遺伝子に作用する具体的な仕組みの解明が研究ターゲットだという。分子の左右性の識別、測定ツールの開発、それを使ったタンパクの凝集過程の研究、それにこの巻貝の業績が評価され、黒田教授は2013年度「ロレアル−ユネスコ女性科学賞」を受賞した。同賞は毎年、優れた業績をあげた女性科学者を世界で5人選び表彰するもので、黒田教授は日本人では4人目の受賞となる。「研究者としては、純粋に研究成果が評価されたことをうれしく思っています。父が国文学者だった影響もあって、研究者以外の職業は想像できませんでした。父もわたしが研究の道を進むと思っていたようで、『学問と結婚するつもりでやるんだぞ』と常々言っていましたね。でも、わたしが若い頃は、女性が大学で研究を続けるのは難しい時代でした。東大で博士号を取っても研究者としての職はない。指導教官に結婚を薦められて“わたしには研究能力がないのかな”と落ち込んだこともありました。科学は、情熱を注いで一生続けるに値する仕事です。ぜひ多くの女性たちに、科学の世界の門を叩いてほしいですね」また、科学と社会との距離が離れていく現状に危機感を抱く黒田教授は、その懸け橋となる人材(サイエンスインタープリター)の育成講座を設立し、今も自ら教壇に立っている。「科学が社会においてどんな意味を持つのかを深く考えて伝えられる人材を育てています。原発事故を見てもわかるように、科学は万能ではない。その前提を理解した上で、社会との信頼関係を築くことが必要なのです」研究に、教育に、多忙を極める黒田教授。「1日が100時間あったらいいのに」と笑うその瞳には、尽きることのない好奇心があふれていた。東京理科大学では、「理学の普及を以て国運発展の基礎とする」という建学の精神のもと、中学・高校の教員、生徒に対するさまざまな支援を実施しています。この支援の一環として、より多くの女子中高生の理系に対する意識を高め、理学のさらなる普及を目指した「科学のマドンナ」プロジェクトを実施しています。プロジェクトでは主に、春・夏・秋の3回、女子中高校生から参加者を募り、女性研究者の講演や現役の女子理科大生との触れ合いなどのイベントを行っています。科学のマドンナたち東京理科大学では、より多くの女子中高生が理系に興味を持ち、進路選択の手助けとなるよう、「科学のマドンナ」プロジェクトを展開しています。プロジェクトのレポートとともに、本学を代表する女性研究者やOG、学生という本学に身近な「科学のマドンナ」たちにお話を伺いました。昨年、東京理科大学総合研究機構の教授に就任した黒田玲子教授は、優れた業績をあげた女性科学者に贈られる2013年度「ロレアル-ユネスコ女性科学賞」を受賞しました。世界をリードする女性科学者である黒田教授にお話を伺いました。「科学のマドンナ」プロジェクトHPhttps://www.tus.ac.jp/madonna/「科学のマドンナ」プロジェクトとはフランス・パリでの「ロレアル-ユネスコ女性科学賞」授賞式の様子ヨーロッパモノアラガイの成長を観察する黒田教授黒田教授の研究対象で、左右両方の巻型がある珍しい巻貝、ヨーロッパモノアラガイ今までに行われた「科学のマドンナ」プロジェクトの様子黒田玲子教授インタビュー「マドンナちゃん」大学イメージキャラクター理系の「堅苦しい」「男臭い」イメージを払拭するために、本学のイメージキャラクターである「マドンナちゃん」が活躍しています。プロジェクトのロゴマークをはじめ、各種グッズ・パンフレットなど、さまざまな場面に登場しています。遺伝子1個だけで生物の左右が決まる不思議受精卵をちょっと逆にねじってみたら?科学は一生続けるに値する仕事多くの女性に科学を志してほしいmadonnafle黒田玲子(くろだ・れいこ)仙台市生まれ。1970年お茶の水女子大学理学部化学科卒業、75年東京大学大学院理学系博士課程(化学)修了。英国ロンドン大キングスカレッジ化学科リサーチアソシエート、同大生物物理学科助教授兼英国がん研究所研究員など計11年に及ぶ英国研究生活を経て、86年東京大学教養学部化学教室助教授、92年同教授、96年大学院総合文化研究科教授。2012年東京大学を定年退官、東京理科大学教授に就任。13年ロレアル-ユネスコ女性科学賞(物理科学)。東京大学名誉教授。