近代科学資料館プログラム
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22.東京物理学講習所から東京物理学校へ[1881-1905 ]12東京物理学校維持同盟規則東京理科大学発祥の地記念碑東京物理学講習所は 麹町区飯田町四丁目一番地で創立しました。その後、神楽坂校舎に移るまでに7回の引っ越しをします。(東京理科大学維持会作成)⑴ 東京物理学校の開校1881-1905①維持同盟の結成1881(明治14)年9月11日、東京理科大学の前身、東京物理学講習所が開校しました。創立者たちは、昼間は各々官庁や官立学校で働き、夜になると講習所の教員となって授業を行いました。学校経営の資金は授業料収入のみで、不足分は創立者たちが捻出して賄い、自分たちは教員としての給与は受けないこととしました。講習所で教える物理学は試験をして合格点を超えないと次に進むことができない方針となっていました。また、教員側の教授法も未熟であったため授業についていけない者が続出し、開校時20人いた生徒がたった1人になってしまったこともありましたが、創立者たちは、より良い教え方を模索しながら学校の維持に全力を注ぎました。開校当初、小学校の教室を借りて授業を行いましたが、机も椅子も子ども用で大変不便でした。講習所は良好な教育環境を求めて移転を繰り返しましたが、1882(明治15)年11月、創立者たちは資金を持ち寄り、神田区今川小路に自前の校舎を新築しました。そして1883(明治16)年、東京物理学講習所は東京物理学校と改称するとともに、フランス留学から帰国した寺尾壽が初代校長に就任し、新たなスタートを切りました。ところが、翌年に起こった台風により今川小路校舎はあえなく倒壊し、存続の危機が訪れてしまいます。寺尾たちは理学普及の志を挫折させてはならないと、直ちに代替の場所を探して授業を再開しました。1885(明治18)年、寺尾たちは東京物理学校の永続的な維持と発展のために、「東京物理学校維持同盟」を結成することを決め、一人あたり30円を醵金して強固な財政基盤を確立します。維持同盟には創立者21人のうち16人が参加し、その後の学校経営は、彼らの合議によって運営されていきました。彼らは本学関係者から敬意をこめて「維持員先生」と呼ばれ、永く慕われています。東京物理学講習所から東京物理学校へ

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