※内容は「東京理科大学報」 vol.190 掲載時のものです。

「4年間しっかり学んだ」ということには自信をもっていい。
良い意味での“いい加減さ”も、ぜひ身に付けてほしい。

「ファイザー」で初めての女性執行役員
ファイザー株式会社 執行役員 プライマリー・ケア 営業本部長
1982年薬学部卒業

清村 千鶴さん

ファイザー株式会社 執行役員 プライマリー・ケア 営業本部長
1982年薬学部卒業
1959年生まれ。82年東京理科大学薬学部を卒業後、台糖ファイザー(現ファイザー)入社。営業職として東京支店配属。86年より本社で臨床開発、学術企画、マーケティング製品担当を経て92年、「ノルバスク」チームのメディカル製品担当に。その後、医薬マーケティング部門長などを経て、11年12月より現職。

世界最大級の製薬会社「ファイザー」の日本法人で、
初めての女性執行役員となった清村さん。

理科大を目指したきっかけは「手に職をつけたい」という思いからだったという。
「父が医師だったこともあって、薬剤師か看護師になりたいと思っていました。他に薬学系単科大学にも合格したのですが、総合大学の方が、いろんな人たちと交流できて楽しい学生時代が過ごせそうだな、と思って理科大を選びました」
 大学時代には、自主上映サークルに入部し、監督として映画も制作した。
「理学部と工学部のサークルだったので、部員が男子ばかりだったんですね。それで、わたしたちが入学した年には女子が猛烈な勧誘を受けたんです。実際の活動は飲み会が中心でしたけど(笑)」
 卒業後は、製薬メーカーを中心に7社を受験。しかし、大卒女子にとっては、今以上に就職が難しい時代だった。
「就職が決まらないまま4年生の11月ぐらいになって、さすがに焦りも出てきたころ、就職課から『ファイザーという会社が女性営業職を募集しているから、説明だけでも聞いてみたら』という電話がありました。それで翌日、会社に行ってみたら、いきなり筆記試験でした。その後、面接を経て、1週間後には内定が出たんです(笑)」
 当時はまだMR(医薬情報担当者)という職域はなく、価格交渉や接待なども行う昔ながらの“営業職”だった。
「いわゆる“足で稼ぐ”という営業ならではのハードな一面にも、抵抗は感じませんでした。父の話を通じて、医者に影響を与えられる仕事をイメージできたからかもしれませんね」

大学時代、自主上映サークルの仲間と(清村さんは右から2番目)

 そんな“女性MRの草分け”の一人である清村さんは、後輩である女性MRに大きな期待を寄せる。
「現在、MRに課せられている“医薬情報を届ける者”というミッションは、緻密な情報を的確なタイミングで伝える必要があります。そのため、女性ならではのこまやかな気配りが大切です。現に弊社でも、女性MRが活躍していますよ」
 最後に、理科大の後輩たちに向けて、メッセージをお願いした。
「社会に出たときに、“他大学の学生に比べ、4年間しっかり学んで卒業した”という点については、絶対の自信をもっていいと思います。ただ、その一方で社会では、本人のマインドセット(経験や教育などから形成されるものの見方や考え方)やチャレンジ精神、そして、“来た仕事は何でも受け入れてやる”という柔軟性も求められます。そうした、いい意味での“いい加減さ”も、ぜひ身に付けてほしいですね」