※内容は「東京理科大学報」 vol.183 掲載時のものです。

自分のやりたいことを追求してきたから
自由に写真に向き合える今がある

“理系的思考”を生かして活躍するカメラマン
日本広告写真家協会会員、STUDIO MUY代表
1974年理学部第一部化学科卒業

大塚 佳男さん

日本広告写真家協会会員、STUDIO MUY代表
1974年理学部第一部化学科卒業
1949年、東京生まれ。1974年、東京理科大学理学部第一部化学科卒。東京写真専門学校(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。写真学校2年のときに、ポリドール・クリエイティブセンターを経てフリーに。広告写真を中心に、ノースウエスト航空などカレンダーを多数手がける。 南極をはじめ世界70カ国を巡るフィールドワークと、イラストレーションのようなスタジオワークを得意とする。日本広告写真家協会会員、STUDIO MUY代表。

「写真家というと文化系のイメージがあるけど、
理系的思考が役に立つ場面は多いですよ」

 広告写真を中心に35年のキャリアを持つ大塚佳男さんは言う。
 「例えば広告写真には“その商品を多くの人に買ってもらう”という明確な目的があります。だから、カメラマンが感性のおもむくままに撮るというよりは、理詰めで正解に迫っていくという仕事なんです。理科大で身につけた、仮説を立ててそれを検証するために実験を繰り返す姿勢や、すぐに結果が出なくても根気よく続ける忍耐力などは、仕事の場面に限らず、その後の人生に大いに役立っていると思います」
 理科大では光化学スモッグについての卒業研究に取り組んでいたが、周囲の友人が研究所などに就職する中、自分の性格には会社勤めは向いていない、と考えた大塚さんは、もともと興味のあった写真の道を選ぶ。東京写真専門学校(現・東京ビジュアルアーツ)で写真を学んだ後、レコード会社の制作部門に入社し、アーティスト写真を撮影するカメラマンとなる。
 「世界的指揮者のカラヤンや、元ビートルズのリンゴ・スターのステージなども撮りました。でも、アーティスト写真は、写真の善し悪しが問われるものじゃない。やはり自分は写真の腕で勝負したいと思い、会社を辞めてフリーになったんです」
 フリーになって2年目、29歳のときにAPA(日本広告写真家協会)奨励賞を受賞。その後は広告写真家としての地位を着々と築き上げていった。しかし……。
 「たしかに仕事は楽しいし、やりがいも感じていた。でも、広告写真はあくまで依頼を受けて撮る写真です。“写真を撮る動機を、自分の中に取り戻さなくては”という、焦りにも似た思いがありました。そこで、“どんなに忙しくとも、年に1度は自分のための撮影旅行をする”という課題を自分に課したのです」

ハンガリー、レヒネル・エデンのアールヌーボー建築を撮影した大塚さんの作品。

そして40歳のとき、撮りためた作品を披露する初の個展を開催。会場で写真を見た人の声を聞いて、初めて、自分は写真家としてやっていけると確信したという。そんな大塚さんにとって、今でも印象に残る被写体は「ハンガリーのアールヌーボー建築」だ。
 「実はハンガリーのアールヌーボーは、そのルーツがアジアにあるため、単なる異国趣味とは一線を画した、不思議な存在感に満ちあふれている……そこが何とも言えない魅力ですね」
 最後に、いまの理科大生に向けてメッセージをお願いした。
 「先行きの不透明な時代だからこそ、自分を深く掘り下げてほしい。自分が真に求めているものは何かを探し続ける……“理系的思考”を武器に、軽やかに人生を歩んでほしいと思います」