※内容は「東京理科大学報」 vol.182 掲載時のものです。

ギターに魅せられて数学の世界から転身
フラメンコの世界で道を究める

日本のフラメンコギター第一人者
日本フラメンコ協会常任理事。洗足学園音楽大学講師
1987年理学部卒業

今田 央さん

日本フラメンコ協会常任理事。洗足学園音楽大学講師
1987年理学部卒業
1964年生まれ。87年、東京理科大学理学部卒業。大学在学中にクラシックよりフラメンコに転ずる。鈴木英夫、日野道生に師事。92年に渡西。マドリッドにてホセ・ルイス・モントンに師事。93年よりフラメンコ発祥の地、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラに居を移す。パリージャ・デ・ヘレス、マノロ・サンルーカルに師事。95年、帰国。96年日本フラメンコ協会第5回新人奨励賞を受賞。2006年より日本フラメンコ協会常任理事。洗足学園音楽大学講師。

おそらく、彼の経歴を見たすべての人が
「なぜ?」と疑問を抱くに違いない。

 東京理科大学の数学科を卒業して、なぜフラメンコギタリストに? そう聞くと、今田さんは「大学を受験するときには、真剣に数学者を志していたんですよ」と笑う。ギターとの出合いは中学のときだった。
 「親に買ってもらったフォークギターでした。初めて弾いた曲は『神田川』だったかな(笑)。 その後ロックギターを始めてバンドを組んだりもしました。当時はどこにでもいるギター少年でしたね」
 そんな今田さんの人生の転機となったのが、1枚のLPレコードだった。「ニーニョ・リカルドというフラメンコギタリストのレコードだったんですが、硬質で歯切れの良い、抜けるような音色、これまで聞いたことのない独特のリズム、変幻自在の奏法……自分がこれまで弾いてきたギターと同じ種類の楽器とは思えなかった。本当にこれがギター1本の演奏なのか、と圧倒されました」
 フラメンコギターに魅せられた今田さんは、フラメンコ教室の伴奏などで腕を磨きながら、わずかながら収入も得るようになる。卒業後は、JA共済の保険部門に就職。保険商品を設計するセクションで働きながら、演奏活動を続けていた。
 「確率統計や保険数学をもとに、保障額・保険料の面から保険商品の魅力を引き出し、市場に送り出せる保険商品として具体化していく仕事です。数学者にはなれませんでしたが、大学で学んだ数学を生かせる職場です(笑)。仕事にはやりがいも感じていたし、何の不満もありませんでした」

高円寺のタブラオ(フラメンコの舞台がある居酒屋)「カサ・デ・エスペランサ」でフラメンコの伴奏をする今田さん。

ところが数年後、フラメンコをとりまく環境が激変する。「バルセロナオリンピックやセビリア万博の開催をきっかけに、フラメンコブームがやってきたんです。フラメンコ教室の数が爆発的に増えて、ギタリストの需要も急増。ステージでの演奏依頼も次々と舞い込んでくるようになりました。最初のうちは退社時刻を早めるなどして対処していたんですが、これ以上忙しくなると、さすがに職場に迷惑をかけてしまう……悩んだ末に、ギター1本で食べていく決意を固めました」
 92年にスペインに渡って本場で武者修行を積んだ後、現在は、伴奏やステージの仕事で国内外を飛び回り、音楽大学の講師も勤めている。そんな今田さんに、あらためてフラメンコの魅力について聞いてみた。「フラメンコは、ギター、カンテ(歌)、バイレ(踊り)が三位一体となった総合芸術です。どれか一つが欠けてもいけない。常に互いを感じながら、支えあいながら、その『瞬間』を共有する……これは他のジャンルでは味わうことのできない魅力だと思います」
 ギターの音色と歌、踊り手の手拍子すべてが揃った時の高揚感。その瞬間を求めて、今田さんはギターの道を究めていく。