形のキラリティ、カイロモルフォロジー研究 自然界に広く存在する「キラリティ」に着目し分子構造の左右性とそのつながりを解明する研究。 総合研究機構 教授 黒田 玲子

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私たちの身体は、どのように遺伝子に則ってつくられているのでしょうか? いまだ解明されていないこの疑問に一歩でも近づくために、私たちの研究室は世界的にも独自の研究分野を開拓し推進しています。それが「カイロモルフォロジー研究」であり、自然界のさまざまなレベルで普遍的に現れるキラリティ(左右非対称)現象に着目し、分子から超分子や結晶へのつながり、遺伝子から生物個体のボディプランへのつながりを解き明かそうというものです。

生物と化学のキラリティを究明するカイロモルフォロジー研究。

人の右手と左手のように互いに鏡に映した形が別のものである性質をキラル、またはキラリティと呼びますが、それはミクロの世界の分子にも存在します。カイロモルフォロジー“Chiromorphology”とは、chiral(左右非対称性)とmorphology(形態)を組み合わせた『形のキラリティ』という意味の、私が作った造語です。キラリティは生命世界と非生命世界のどちらにもミクロとマクロのレベルで現れるもので、私たちはそのつながりを、キラリティを切り口に明らかにしていこうと研究を重ねています。そして私たちの研究室では現在、生物(いきもの)と分子、それぞれのカイロモルフォロジーについて研究を進めています。

生物カイロモルフォロジーを探り、左右決定のメカニズム解明に迫る。

地球上のすべての生物を形成する主要物質であるタンパク質はL-アミノ酸、核酸はD-(デオキシ)リボーズから成っており(L-, D-はそれぞれ左型・右型を意味する)、これを“ホモキラルな生命世界”と呼んでいますが、それは自然界の大きな謎であり、生命の起源を解く鍵でもあります。また、生物個体というマクロで見ると、多くの動物は外見上ほぼ左右対称に見えますが体内構造は左右非対称です。人の心臓の位置、消化管のねじれ方向も遺伝子によって決まっているのですが、その左右性を決めるものは何なのか今も謎です。

そこで発生過程で最初に左右軸を決定する因子を見究めるために、私たちが多くの生物の中で着目したのがヨーロッパモノアラガイでした。この巻貝は、右巻きと左巻きが98:2の比率で天然に存在しており、殻の巻型から内臓の配置まで左右対称です。巻型は母親由来の1個の遺伝子により、発生の初期に決定されるなど、左右性研究にとても適しています。巻貝の受精卵が細胞分裂(卵割)し4細胞から8細胞になる第3卵割期に、右巻き貝は右回りに、左巻き貝は左回りにらせん卵割するのですが、このモノアラガイを詳細に観察してみると、その様子がこれまで教科書に書かれていたように鏡像関係にはなく、その違いこそを巻型決定遺伝子が引き起こしていることに気づきました。これは従来の発生生物学の定説を覆す発見でした。

次に私たちは、巻き型を決定する第3卵割期に、意図的に胚をそっと押して本来の向きとは反対方向になるようにしてから培養してみたのですが、なんと遺伝子とは逆巻の貝、つまり意図的に操作した巻き方の貝に成長することを発見したのです。また、その逆巻の貝から生まれた子供は元の遺伝子通りの巻型で生まれることも確認しました。脊椎動物の左右性を制御しているnodal遺伝子が巻貝にもあり、初期胚の胚操作で、その発現場所が鏡像位置に変わることも見つけました。これらの研究成果は、巻貝に限らずさまざまな生物の左右決定のメカニズムを知る手がかりとなるものです。

私たちは、この発見を2009年に“Nature”に発表し、国内外から大きな反響を得ました。遺伝子に触れないでも発現が変わるという事実は、今後の遺伝子解明に向けた画期的な発見です。これは私たちの研究室でなくては見つけられなかった大きな成果ですが、“なぜ物理的胚操作で遺伝子の発現が変わったのか”。それが現在進行中の研究課題のひとつです。

β-アミロイドなどの凝集過程をリアルに追跡する化学カイロモルフォロジーグループ。

そして、もうひとつの「分子カイロモルフォロジーグループ」では、固体化学に着目し固体状態におけるキラリティの研究を行っています。固体状態では分子が高密度で充填されており、相対的な配置が固定されているために気体や溶液に比べ分子間の作用が強く、キラリティの識別・創製・転写がとても強く起きると考えられます。分子はどのようにして隣接分子のキラリティを識別して固体形成をしていくのか。私たちはそのつながりを探求し、応用化学へと展開しています。

特に近年、グリーンケミストリー分野で、生態系に悪影響を与える有機溶媒を使わない固体キラル化学が注目を集めています。その中で結晶生成過程でのキラリティ認識、固体状態でのキラリティ選択反応など、多岐にわたる新研究を行っています。例えば、左右を分けることが難しい2級アルキルアルコールを、超分子結晶を生成して簡単にキラリティ分割することに成功しました。また、固体共粉砕によって溶液からの結晶化とは異なる結晶が作れることを発見したり、溶液反応とは異なる化合物を生成する固体光反応の開発もできました。生命世界がホモキラルであるために、化合物のキラリティは薬の効き方や味覚の違いとなって現れます。キラリティの分別は製薬、食品業界等にとって重要な課題でもあるのです。

こうした固体キラル化学をさらに進化させていくためには、何よりも固体状態のキラリティを正しく測定できる分光装置と解析法が必要です。市販の分光装置では、固体特有の性質のために原理的に測定が不可能だったため、私は、独自のキラリティ分光計UCS(Universal Chiroptical Spectrophotometer)、USC-1、さらにUSC-2/ 3を開発し、さまざまな興味深い結果を得ることに成功しました。特に、今までサンプルを縦置状態で測定していたのですが、それでは柔らかいサンプルは時間経過とともに重力で下に落ちてしまいます。USC-2/ 3ではサンプルを横置きにできるよう改良を加え、時間による構造変化も測定できるようにしました。その結果、無機化合物の結晶の物性、有機化合物の構造、アルツハイマー病の原因タンパクのひとつであるβ-アミロイドの凝集過程もリアルタイムで追跡できるようになりました。

ひとつのチャンスから広がった未来への研究の継続的な挑戦。

東京大学の教養学部に在籍していた当時、助教授や助手がおらず、学生も少なく思い通りに研究できないこともありました。そんな中で、JST(科学技術振興機構)が推進するERATO(戦略的創造研究推進事業)のプログラムに私の申請した研究が採択されました。「日本発の新しい学問・コンセプトを作ってほしい」ということで、大喜びで挑戦させていただきました。この素晴らしい制度のおかげでポスドクも雇うことができ、「カイロモルフォロジー研究」を思い切って進めることができました。このことは感謝してもしきれません。

生物と化学の視点で、それぞれ、分子から分子集合体へのつながりを探る「カイロモルフォロジー研究」。その研究成果は学問的な意味だけでなく、創薬、食品、医療など幅広く生活にも関わり、産業への波及効果も大きいと考えています。私が東京理科大学に来たのも、東京大学で確立した研究を、理科大ならではの幅広い視点と多彩な研究環境の中で、さらに前進させたいと思ったからです。

未来の科学のために多様な活動に取り組んでいきたい。

私は“好奇心が服を着て歩いている”とよくからかわれますが、精いっぱい追究したいという研究への情熱とともに、 “自分の研究は社会の中でどういう意味があるのか”、研究者一人ひとりがそういう思いを持って取り組むことが大切だと思っています。科学の進歩は、私たちに多くの恩恵をもたらしますが、同時にマイナスの効果も与え、社会構造や規範を一変させてしまうこともあります。だからこそ私は、“社会の中の科学”という視点で、科学と社会をつなぐサイエンスインタープリター活動を展開しているところです。2013年には、国連の潘基文事務総長の下にできた、グローバル・サスティナビリティに関する科学諮問委員会に招聘されました。国際科学会議(ICSU)やユネスコ国内委員会、スウェーデン王立科学アカデミー会員など、多くの機関のメンバーとして活動するのも、私たち科学者が市民社会・国際社会と向き合い、そこから真摯に学びながら、責任を持って活動していく責務があると思うからです。

“カイロモルフォロジー”研究は、その研究成果が広く認められ、おかげ様で“文部科学大臣表彰-研究部門”や“ロレアル-ユネスコ女性科学賞”など数多くの賞を受賞しました。一人の研究者として、こうした評価は素直に嬉しく今後の大きな励みにもなります。しかし、私たちの研究に終わりはありません。遺伝子解明まであと数年はかかるかもしれません。私の研究においても、ひとつのことが分かると10の“新しいなぜ?”が生まれます。その一つひとつの答えの中に未来に役立つものがあり、私自身、先頭に立ってそれを見究めていきたい。そのためには、あと20年でも30年でも一線の研究者としてトライし続けなくてはと思っています。まだまだ好奇心は尽きない。やることがいっぱいあるのです。

総合研究機構 教授黒田 玲子Reiko Kuroda

お茶の水女子大学理学部卒。東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。東京大学名誉教授。
2012年(平成24年)~ 東京理科大学総合研究機構 教授。
国連事務総長科学諮問委員、元内閣総合科学技術会議議員、スウェーデン王立科学アカデミー会員。猿橋賞、日産科学賞、山崎貞一賞、文部科学大臣表彰、ロレアル-ユネスコ女性科学賞など受賞多数。著書に『生命世界の非対称性』『科学を育む』など。

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平成26年度男女共同参画社会づくり功労者内閣総理大臣表彰を受賞

この表彰は多年にわたり男女共同参画社会に向けた気運の醸成等に功績のあった者や、各分野において実践的な活動を積み重ね、男女共同参画の推進に貢献してきた者などを顕彰することによって、豊かで活力ある男女共同参画社会の形成に資することを目的として実施されるものです。
(内閣府男女共同参画局HPより抜粋)

【功績概要】
平成20年から23年の3年間、日本人女性としては初めて、国際科学会議(ISCU)の 副会長を務められ、平成25年3月には科学の分野で著しい業績を挙げた世界の優れた女性科学者を表彰する 「ロレアルーユネスコ女性科学賞」を受賞されるなど、社会的にめざましい活躍をしており、 ロールモデルとして男女共同参画の促進に尽力されている。また、内閣府男女共同参画推進連携会議議員として、 男女共同参画社会づくりに向けた国民的な取組の推進に貢献した。

【受賞日】
2014年6月27日