館長挨拶

2031年、本学は創立150年を迎えます。近代科学資料館が中心となり①史料編纂体制を整え、後世に語り継がれる理科大の沿革史を刊行する。②日本が科学技術先進国に成長したことへの本学の貢献について「自校史教育」を通し22万人を超える卒業生のネットワークづくりを確立する。③社会に対する責任(アカウンタビリティー)と捉え、現役学生たちの自主・自立の自尊感情(セルフ・エスティーム)を促し愛校心を育む。これら3つテーマを推進していきたいと思っております。

本館は、多くの来訪者で賑わう新宿区神楽坂に立地しています。一般市民、学生、卒業生などを対象として本学の歴史から、科学技術の過去・現在・未来を思考する空間となる博物館として、近代科学技術の啓発活動を通して、本学の建学の理念である「理学の普及」に積極的に貢献することを使命としてきました。

ここで東京理科大学ゆかりの人々をご紹介します。(敬称略)初代学長の本多光太郎は、明治の日本を代表する物理学者長岡半太郎の指導を受けていました。本多光太郎の「今が大切」の意味は、ラテン語のカーペ・ディアム(Carpe Diem:「今を生きる」英語ではseize the day)にあると思います。日本を代表する数学者の1人髙木貞治は、戦前の東京物理学校で数学を教えていました。彼の随筆集『数学の自由性』の中で、「数学の本質はその自由性にある(カントールの言葉を引用)からこそ、人間も数学(科学)も進化を続けてきた」と書いています。さらに、戦後日本最初のノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹や朝永振一郎らも本学で記念講演を行いました。この2人は、戦前の京都帝国大学時代に数学者岡潔の講義を受けています。その岡潔の随筆集『日本のこころ』の中でフランスの数学者ポアンカレや鎌倉時代の道元禅師の『正法眼蔵』を紹介しています。『坊っちゃん』で有名な夏目漱石の最後の作品『明暗』でもポアンカレの『科学と方法』の一節が引用されています。ポアンカレは「一見数学の証明は知性以外に関係がないように思われるのに…実に感受性に属するもの…吾々のこころの中に一種の審美的感情を起さしめる力…この調和は、吾々の審美的要求に満足を与えるのみならず、また吾々の精神を助けてこれを支持するもの」と書いています。

先人たちは、数学や物理(科学)は、根本的に「人間のこころを豊かにするもの」と捉えてきました。このことは、東京物理学校時代から現在まで、東京理科大学の理学教育の根底に流れています。その使命を後世に伝えるミッションを近代科学資料館が担っています。ぜひ東京神楽坂にお越しの折は、お立ち寄りいただき、近代日本の歴史の一側面をご高覧ください。お待ちしております。

伊藤稔

東京理科大学近代科学資料館
館長 伊藤 稔